三業惑乱と本願寺・妙好人

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2009/12/24(木)
 親鸞会では“江戸時代に起きた「三業惑乱」によって、西本願寺は信一念を説かなくなった”と言っておりますが、下の年表をも見ても分かりますように、そんなことはありません。
 もちろん、三業惑乱が真宗学に及ぼした影響は甚大ですが、それによって宗学はますます発展したと言ってもいいのではないかと思います。
 また、三業惑乱後に正しい教えが説かれなくなったのならば、妙好人が出るはずがありません。
 教えが受け継がれてきたからこそ、これらの人達が出たのです。

三業惑乱の経緯概略】
和暦の年号はややこしいので、西暦で書きます。
1762年 第6代能化 功存が『願生帰命辯』を刊行
      これに道粋が序文を書く。
1763年 道粋が『疑問六章』で『願生帰命辯』を批判
1783年 越中善巧寺の明教院僧鎔師歿す ※空華轍の祖
1784年 大麟が『真宗安心正偽論』で『願生帰命辯』を批判
1786年 崇廓が『旁観記』で『願生帰命辯』を弁明
      大麟が『正偽編後編』で論難
1787年 三河の善永が『興復記』で『願生帰命辯』を批判
1789年 讃岐の宝厳が『帰命本願訣』で『願生帰命辯』を批判
1796年 第7代能化に智洞が就任
1801年 安芸の大瀛が『横超直道金剛錍』を刊行
      ※真実院大瀛師は芿園轍の祖
       尚、大瀛師の3歳年下の従弟が勝解院僧叡師で石泉轍の祖
      智洞(新義派・三業派・学林派)と道隠(古義派・聞信派・在野派)を閉門
      ※道隠師は空華三師の一人。堺空華の祖
1802年 古義派の信徒が美濃で蜂起
1803年 京都所司代が関係者を取り調べ
1804年 幕府が智洞と大瀛・道隠を江戸に呼び出す。(1月)
      大瀛歿す(5月)
      幕府の裁定(寺社奉行は龍野藩主脇坂安董)
      新義派を処罰(6月)
      智洞歿す(7月)
      本如上人『御裁断御書』を出す。

 空華轍が今日の西本願寺の教学の中心。それと並ぶのが石泉轍。
 轍とは学派ということ。

三業惑乱後の妙好人
庄松  1799年~1871年
お軽  1801年~1856年
吉兵衛 1803年~1880年
源左  1842年~1930年
才市  1850年~1932年

本如上人 1778年~1826年
広如上人 1798年~1871年
南渓   1790年~1873年
原口針水 1806年~1892年
利井鮮妙 1835年~1914年
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