御再興の上人

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2009/12/26(土)
「弥陀をタノム」ということがとても大切ですので、今回はまず、御一代記聞書188条を『蓮如上人聞書新釋』(梅原眞隆著 本願寺 ISBN4-89416-438-8)から引用します。
但し、原文は真宗聖典註釈版によります。

聖人(親鸞)の御流はたのむ一念のところ肝要なり。ゆゑに、たのむといふことをば代々あそばしおかれ候へども、くはしくなにとたのめといふことをしらざりき。しかれば、前々住上人の御代に、御文を御作り候ひて、「雑行をすてて、後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と、あきらかにしらせら れ候ふ。しかれば、御再興の上人にてましますものなり。
註釈版聖典1290頁

【意訳】
 親鸞聖人の御一流は弥陀をたのむ一念の信心が大切な要点である。この故に、たのむということをば宗祖已来代々の善知識が仰せ遊ばしたのであったが、たのむとはどんな風にたのむかということを、一般の人々はくわしく知らなかったのである。それを蓮如上人の御世代に御文章をおつくりなされて、雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめと、あきらに御しらせくだされた。してみれば、蓮如上人は一宗を御再興になった上人であらせられる。

【解説】
 真宗の根本要義は唯信の救いである。そこで「聖人の御流はたのむ一念のところ肝要なり」とのべられたのである。この「たのむ」ということは、一般に使われた大衆の言葉であるだけ、平易ではあるが、諸種の意味に解釈されるおそれもある。そこで蓮如上人はたのむ一念の信相をくわしく示して「雑行をすてて後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ」と教示された。雑行をすてて正行に帰する廃立を基底とし、正行は南無阿弥陀仏であって、南無とたのめば阿弥陀仏のおたすけぞと聞きひらいたのが正行に帰するすがたである。適確に一宗の肝要をわかりやすく普及せしめられたので、真宗は繁昌した。御再興の上人として崇敬される所以である。

-----ここまでが引用

【私の補足】
 たぶんこれでも現代人には分かりにくいのではないかと思います。
 上の解説の中で、大事なのは「南無とたのめば阿弥陀仏のおたすけぞと聞きひらいたのが正行に帰するすがたである」というところですが、ここを間違えないようにしなければなりません。
 南無は私が作った心ではありません。
 ここのところをもう少し考えてみたいと思います。
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