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さらにしつこく「タノム」について

2010/01/07(木)
再び加茂師からです。
『親鸞〈信〉 ―本願の念仏―』(加茂仰順師)より

 私たちは、とかく「タノムモノヲ助ケル」のお言葉に迷って私がこの心でタノンデ助けてもらうように思っています。そんなことにこだわってはなりません。
 そしてまた申します。「自力ダノミは悪いが、他力のタノミの心はなくてはなるまい」と。
 それが、ご化導の逆さ聞きであります。自力・他力にかかわらず、私の方からタノムのではありません。それならば、どうして助かるのでしょう。
 私は、たのむどころの話ではない。まるきり逃げることにかかりはてているこの私を、大悲の親様は、そなたが参ってくれないと四十八願も水の泡、極楽浄土も立ち腐れになるから、いやでもあろうが来てくれよ。参るもとではこれこの通り名号六字と仕上げたゆえ、是非にの御たのみに、参る気のない、往く気のない私が往かねばならぬことに、させられてしまうが他力の往生であります。
 親様は恩にきるぞよ、礼もいうぞよ、後生一つはこの弥陀にはからわせてくれよと仰せられます。たとい他力のタノミでも、私の方からタノンダリ、まかせたりして参るなら、タノミ心や、まかせ方が少しでも違っていたら参ることにはなるまいに、今は大願業力の親様にタノマレテ参らねばならぬ身の上と知らせて頂いたら、私の方のタノミ心や、まかせぶりに違っていても、助かることと参ることは、いやでもやめにならぬとは、何とした確かなことでございましょう。何とした嬉しいことでございましょう。ほんにご恩のやり場がありません。


引用はここまで

「ご化導の逆さ聞き」という表現が素晴らしいですね。
いろいろな人の話をうかがいますと、だいたい「逆さま」です。
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