深いみ心 徒然草236段より

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2010/01/20(水)
センター試験も終わりましたが、教養として古文の勉強でもしましょう。
徒然草236段は試験によく出るのではないかと思いますし、皆さんの中にも中学・高校時代に習った人もいるのではないでしょうか。

【原文】
丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

【現代語訳】
 京都の丹波地方にも出雲というところがある。島根の出雲大社の流れをひく立派な社が造営されている。しだ某という者の領地で、ある年の秋、聖海上人など大勢の人を招待して「是非当地の出雲神社にお参り下さい。おはぎでもご馳走いたしましょう」と(しだ某が言ったので)連れだって出かけ、おのおの拝殿でお祈りをして、大いに信仰心を起した。
 拝殿の前の獅子と狛犬が反対に向いて背中合わせになっているのを、聖海上人が見て感心し、「おお、この獅子の立ち方はなんと素晴らしいことだ。きっと深いいわれがあるのだろう」と涙ぐみながら「皆さん方にはこのすばらしさがお分りにならんのですか。それではあんまりだ」と言ったので、他の者たちもみな不思議がって「そう言えば本当に変っていますな」とか、「これは都への土産話としましょう」とか言うと、上人は、もっとそのいわれを知りたいと思って、かなりの年配の、いかにもこの神社のことに詳しそうな神官を呼んで、「ちょっとお伺いしたいのですが。このお社のお獅子の立て具合にはきっと何かいわれがあるのでございましょうな」と言うと、「それなんですよ。あれはいたずらな子供たちの致しました事で、けしからんことでございます」と言いながら近寄って向き合うように置きかえて、去って行ったので、上人の感動の涙は無駄になってしまった。

【読後感想】
「深いみ心」といっても、こういうことがよくあります。
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この記事へのコメント
第52段{仁和寺にある法師」も面白い味わいができそうです。ぜひ解説してください。
2010/01/20(水) 13:57 | URL | #-[ 編集]
 第52段「仁和寺にある法師」も有名な段ですね。
 兼好法師が仁和寺の近くの双ヶ丘に住んでいたこともあり、仁和寺関係の話が、52、53、54、60段等にあります。
 私は国文学の専門ではありませんが、また、エントリーとして書きたいと思います。
2010/01/20(水) 15:56 | URL | 近藤智史 #mQop/nM.[ 編集]
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