ウィトゲンシュタインに最も近かった弟子の一人マルカムは、その著『ウィトゲンシュタイン――ある回想』(原文51ページ)において、次のように言っています。
或る日、我々〔ウィトゲンシュタインとマルカム〕が一緒にいたとき、彼は哲学についてハッとするような所見を述べた。彼は次のように言ったのである。
「哲学的混乱に陥っている人は、或る部屋の中に居てそこから脱出しようとしているが、しかしどうしていいか解らないでいる人、に似ている。彼は窓から脱出しようとするが、窓は高すぎる。彼は煙突から脱出しようとするが、それは細すぎる。しかし、もし彼が振り向きさえすれば、ドアはずっと開け放されていたのだ、という事に気づくであろう!」
-----------------------------引用は以上です
ウィトゲンシュタインが言ったことは「哲学的混乱」に限ったことではないと思いますね。いろいろな事象に当てはまるのではないでしょうか。
言葉という言語が示すモノの捉え方に疑義を抱いたのがウィトゲンシュタインかな。
法然聖人や御開山まで来ると、なんまんだぶという言葉が解体されて、言葉を超えた世界を指示するシンボルになってしまったのかもなあ。
それにしても、貴兄のような方があのような高森氏に師事したという事の意味がワカラン。
種明かしをすると、これは中村元教授の『空の論理』532ページの註に書かれていたのを使わせてもらっただけなのです。
ウィトゲンシュタインはハイデガーとともに20世紀を代表する哲学者ですから名前くらいは知っていますが、勉強したことはありません。
さて私のことですが、人生というのはわからないものです。
菊池寛作の童話に「三人兄弟」というのがありますが、あんなものですね。