コペル君というあだ名の少年(旧制中学2年生の本田潤一君、話の中心は1年生の時のこと)の心の成長物語です。
1937年(昭和12年)7月、日本少国民文庫の最後の配本として世に出た作品です。
この年は盧溝橋事件が起き、日本はいよいよ泥沼の日中戦争、そして太平洋戦争へと突入していきます。戦前の本であるにもかかわらず、現代にも通用する、いや、現代人なら尚更読むべき本だと思いました。実は恥ずかしながら私はこの本を知りませんでした。最近知人に紹介されて読んだのですが、たいへん良い本で、是非皆さんにも読んでもらいたいと思い、紹介します。
すでに読んだことのある方も多いと思いますが、何度読んでもいい本はいい本です。
(押し付けるつもりはありませんよ)
釈尊は華厳経に人間に生まれ難いこと、仏教を聞き難いことを説かれ、源信僧都も横川法語であらわされ、親鸞聖人も又「五趣八難の道を超え…」と述懐なさっています。なぜ人間に生まれたことが尊いのか。それは人間に生まれなければ仏教を聞くことができなかったし、仏教を聞けなければ、阿弥陀仏の本願に救い摂られることもなかったからです。
決して他人をさげすんだり、上から目線で見るということではないのですが、人間の姿形はしていても、人間の心を失ってしまっては、やはり仏教は聞けないと思います。ましてや、機械やロボットが仏教を聞けるはずもありません。
この本は、忘れていた人間の心を思い起こさせてくれるに違いありません。
コペル君の心、大事ですね、三世十方を貫くと感じました。
ぜひ、ここを訪れる皆さんにも読んでもらいたいです。
最近、会の中で近藤さんのことを呼び捨てにする風潮があります。
悲しいことです。
今まで共に求めてきた人に対して、手のひらを返したような態度をとる、
親鸞学徒の前に、仏法者の前に、人間であることを思い出してほしい。
だれだって、たたけば多少のホコリはでる。あなたはどうですか?
そこを針小棒大にとりあげて叩くその心、それを見つめてほしいです。
本当に皆さんに読んでもらいたいですね。
それと
呼び捨てにされるということは、覚えられているということですから、それもまたご縁かと喜んでおります。
所詮、近藤そのものは何の価もありませんし。
そんな者でも「海一味」「共同心」に生かされる世界がありますので、早く皆さんにも出ていただきたいと念ずるばかりです。