歎異抄第1章と第2章の書き出しを読む

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2009/07/23(木)
弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。

歎異抄第1章の書き出しです。
この中で、動詞を含む文節は、
1.「たすけられまゐらせて」
2.「とぐるなり」
3.「信じて」
4.「申さん」
5.「おもひたつ」
6.「おこるとき」
7.「あづけしめたまふなり」
です。
これらの主語・主体は何でしょうか
1~5は行者
6は行者の「こころ」
ですね。
したがいまして、1~6は行者側のことになります。
では7の文節を含む句「すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」の主語・主体は何でしょうか。
文章をしっかり読めば、阿弥陀仏と分かりますね。
ですから、第1章の書き出しに主語を補って書きなおすと、

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち(阿弥陀仏は)(行者を)摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。

となるでしょう。
現代語訳にする時は、「行者に」という訳もできるかと思います。

主語が阿弥陀仏か行者かは、この歎異抄第1章の解釈では大きな違いが出てこないように感ずるかもしれませんが、お聖教のご文によってはとんでもない誤解を生んでしまいますので、気をつけたいと思います。


歎異抄の解説本はたくさんありますが、一例をあげましょう。
「聖典セミナー 歎異抄」(梯実圓著 本願寺出版社)ではどのように訳されているかといいますと、

阿弥陀仏の誓願の思いも及ばぬおはからいに救われて、往生を遂げさせていただくことであると信じて、念仏を申そうと思いたつ心がおきるとき、即座に阿弥陀仏は大悲の光明のなかにおさめとりたまい、決して見捨てぬという救いの利益にあずからせてくださいます。

となっています。

ちなみに、第2章の書き出しはどのように訳されているかも紹介します。

【本文】
おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、・・・

【現代語訳】
あなたがたが、十幾つもの国々をこえ、いのちの危険もかえりみず、私をたずねてきてくださった、その目的は、極楽に生まれてゆく道を問いただしたいという、ただその一事のためでした。ところが、もしあなたがたが、親鸞は念仏以外に、往生の道を知っているのではないかとか、あるいは往生に関する特別の教説なども知っているのではないか、その真相を知りたいものだと思っておられるのでしたら、それは大きな誤解です。もしそういうことを聞きたいのならば、・・・

少し補足しますと、
この歎異抄第2章の書き出しの中で、
3番目の文のはじめの「もししからば」の「しからば」は
2番目の文の中の「こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは」指しています。

「こころにくく」を太字にしたのは、前の記事との関連です。
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