歎異抄第2章を読む その4

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2009/08/07(金)
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと[云々]。

「おはしまさば」は文法的には、未然形+接続助詞「ば」で、仮定を表します。このあとの文も「おはしまさば」「ならば」「ならば」と同じですので、仮定として訳すべきでしょう。
これは「仮定ではない」という人もいます。その理由は「阿弥陀仏の本願まことは明らかだから、仮定で本願を語られるはずがない」というものですが、はたしてそうでしょうか。
確かに親鸞聖人にとって「阿弥陀仏の本願まこと」であったことは言うまでもないのですが、聖人直筆の文ではないにしろ、直接聞いた歎異抄の著者がこのように書いているのですから、自分の思いで文章自体を変えてしまうのではなく、親鸞聖人のお言葉の深意・真意を汲み取ろうとすることに努力すべきではないでしょうか。

このことについては、梯實圓勧学が説明しておられますので、そのまま紹介します。


しかし、このことをいうのに「まことにおわしまさば」という仮定の言葉をつらねておられる点に、奇異な感じをうけます。そこには、反語的に意味を強めるようなひびきも感じられますが、何よりも「親鸞が申すむね、またもってむなしからず候ふか」という謙虚な領解の言葉を述べるためだったと思います。
ふつう絶対真実の法の伝統を語った後は、「法然の仰せまことなるがゆえに、親鸞が申すことも決していつわりではない」と断言するでしょう。そして「親鸞の信心はかくのごとし、このうえは、面々、念仏をとりて信じたてまつるべし」と結ぶでしょう。そうなれば、教法の権威をかりて、門弟に信を強制する高圧的な「人師」のイメージが強くなり、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」(『註釈版聖典』八三五頁)といいつづけられた親鸞とは、ちがった人格になってしまいます。
 聖人は、「法」の名によって「私」を主張することを厳しく自戒されています。自分がいただいている教法が貴いということは、自分が貴いことでは決してありません。むしろ、教法の貴さがわかればわかるほど、自身の愚かさを思い知らされていくはずです。仏祖の名を利用して、名利をむさぼったり、「よき師」の名をかりて、自己を権威づけようとするほど醜いものはありません。
 こうして親鸞は「愚身の信心におきてはかくのごとし」と述べ、「このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなり」とおことばを結ばれています。率直に自身の信心を表明された聖人は、門弟たちの一人ひとりが如来のまえにたって、仰せにしたがうか。したがわぬかを決断する以外に道のない、仏法の厳しさを知らしめられていたといえましょう。
(『聖典セミナー 歎異抄』102-103頁 梯 實圓著 本願寺出版社 ISBN978-4-89416-565-6)
(『親鸞』70-71頁 梯 實圓著 大法輪閣 ISBN4-8046-4102-5 にもほぼ同じ文があります)


私もこの通りと思います。
梯師の文章でもう1点注目すべきは、「一人ひとりが如来のまえにたって・・・」という箇所でしょう。
「信心獲得したいのです」と口では言っていても、直接阿弥陀仏に対峙せず、「私はまだ・・・」「なかなか・・・」「環境が・・・」などと言い訳を言って逃げていては、無常との競争以前の問題です。
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この記事へのコメント
いつもお世話になっております。
なぜかコメントもあまりついていないようなので、書いてみようかなと思った次第です。
事情もあってなかなか御説教の機会にもあえないでいますが、せめてお聖教に親しんだりして、それでも十分嬉しいのですが、やはり、生身の人間から語られる言葉、しかも心からの、そしてそれが信心についてとなれば、同じと分かって本当にそのとおりと思えるのは、ドキドキするほど嬉しいものですね…
分かる(もっている)のと、説明できるのとは違うんです。在家無知の尼入道が言えないもどかしさを言ってくださっているような痛快さと、「ここにはこのようにも言われています」と知らなかったことを紹介して頂いても、ああそうだそういうことなんだと深く心に染み入るような感動があります。いつでも喜びは新鮮なまま、このような折りに触れてあふれてきます。法悦ってこういうものなんですね…ありがとうございます。これからも楽しみにしています。
2009/08/07(金) 12:30 | URL | 163 #VkVTiyLo[ 編集]
最後の一文は自分の姿だと思いました。
2009/08/17(月) 12:47 | URL | こもれび #-[ 編集]
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