観無量寿経 覚書 その2

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2009/08/14(金)
観無量寿経の構成は次のようになっています。
今後、これらの言葉を使うかもしれませんので参考にして下さい。

観無量寿経の五分科(善導大師によるもの)
◎王宮会
 ①序分
   証信序
   発起序
    化前序
    禁父縁
    禁母縁
    厭苦縁
    欣浄縁
    散善顕行縁
    定善示観縁
 ②正宗分
   定善十三観
   散善三観
 ③得益分
 ④流通分
◎耆闍会
 ⑤耆闍分

このうち、釈尊が王舎城の牢獄へ来臨され、韋提希夫人の前に立たれたのが、発起序の「厭苦縁」「欣浄縁」のところです。
韋提希夫人は釈尊に愚痴をぶちまけますが、釈尊は沈黙しておられます。
無言の説法とも言われるそうです。

この部分を読んでみましょう。

【厭苦縁】
ときに韋提希、幽閉せられをはりて愁憂憔悴す。はるかに耆闍崛山に向かひて、仏のために礼をなしてこの言をなさく、
「如来世尊、むかしのとき、つねに阿難を遣はし、来らしめてわれを慰問したまひき。われいま愁憂す。世尊は威重にして、見たてまつることを得るに由なし。願はくは目連と尊者阿難を遣はして、われとあひ見えしめたまへ」と。
この語をなしをはりて悲泣雨涙して、はるかに仏に向かひて礼したてまつる。いまだ頭を挙げざるあひだに、そのとき世尊、耆闍崛山にましまして、韋提希の心の所念を知ろしめして、すなはち大目犍連および阿難に勅して、空より来らしめ、仏、耆闍崛山より没して王宮に出でたまふ。
ときに韋提希、礼しをはりて頭を挙げ、世尊釈迦牟尼仏を見たてまつる。
身は紫金色にして百宝の蓮華に坐したまへり。目連は左に侍り、阿難は右にあり。釈・梵・護世の諸天、虚空のなかにありてあまねく天華を雨らしてもつて供養したてまつる。
ときに韋提希、仏世尊を見たてまつりて、みづから瓔珞を絶ち、身を挙げて地に投げ、号泣して仏に向かひてまうさく、
「世尊、われむかし、なんの罪ありてかこの悪子を生ずる。世尊また、なんらの因縁ましましてか、提婆達多とともに眷属たる。
(「」は続いています)
【欣浄縁】
やや、願はくは世尊、わがために広く憂悩なき処を説きたまへ。われまさに往生すべし。閻浮提の濁悪の世をば楽はざるなり。この濁悪の処は地獄・餓鬼・畜生盈満し、不善の聚多し。願はくは、われ未来に悪の声を聞かじ、悪人を見じ。いま世尊に向かひて五体を地に投げて哀れみを求めて懺悔す。やや、願はくは仏日、われに教へて清浄業処を観ぜしめたまへ」と。
そのとき世尊、眉間の光を放ちたまふ。その光金色なり。あまねく十方無量の世界を照らし、還りて仏の頂に住まりて化して金の台となる。〔その形は〕須弥山のごとし。十方諸仏の浄妙の国土、みななかにおいて現ず。あるいは国土あり、七宝合成せり。また国土あり、もつぱらこれ蓮華なり。また国土あり、自在天宮のごとし。また国土あり、玻瓈鏡のごとし。十方の国土、みななかにおいて現ず。かくのごときらの無量の諸仏の国土あり。厳顕にして観つべし。韋提希をして見せしめたまふ。
ときに韋提希、仏にまうしてまうさく、
「世尊、このもろもろの仏土、また清浄にしてみな光明ありといへども、われいま極楽世界の阿弥陀仏の所に生ぜんことを楽ふ。やや、願はくは世尊、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ」と。

(「やや」というのは、「どうぞ」という意味です)

なぜ釈尊は沈黙しておられたのでしょうか。
韋提希夫人の問いは
「いったい私が過去にどんな悪行をしたから、今こんなに苦しまなければならないというのぉ!」
です。
韋提希夫人がたとえこの答えを知ったところで、救いにはならないからです。

「私たちの今の運命は何によって決まったのか。それは、過去世の種まきによって決まったのです。」という教えは「因果の道理」の体裁はとっていますが、「救い」にはなりません。
また「善いことをしなければ、善い結果は来ませんよ。悪いことをすれば、悪い結果が来ますよ。」だけでは、仏教以外の宗教や倫理道徳でも教えることで、仏教の因果観とは言えないでしょう。
現に、このようなフレーズを悪用し、多くの人を脅し、苦しめている宗教も少なくありません。

苦悩はどこから生ずるのか、そして生死流転から如何に離れるかを教えるのが仏教です。

仏教はネガティブな教えではなく、ポジティブな教えです。

韋提希夫人が目の前の苦しみの原因を追い求めることから、穢土を厭離し浄土を欣求するようになるまで、待っておられたのが釈尊の沈黙の理由でしょう。

釈尊の真意を正しく受け取らず、阿弥陀如来の本願・仏智を疑っている人を、親鸞聖人は戒めておられます。

自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがへば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける
(正像末和讃 誡疑讃 67)
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