(1975年 米)
(One flew over the cuckoo's nest)
いつになったら、浄土真宗の話を始めるのだろう?と思っている人もおられるかもしれませんが、そういう話は、個別にしております。
すみません。
さて、今度は映画の話です。
とは言ってはみたものの、実は映画の話をするほど多くは見ていないので、どこまで続くかは分りません。
この「カッコーの巣の上で」は高校1年生の時に先輩と一緒に見に行きました。
いい映画です。
私はレビューを書くわけではありません。映画なのですから、実際に皆さんが見られるのがよいでしょう。
そう時間もない人は、ウィキペディアなどにも分かりやすくまとめられていますのでご覧下さい。
ちなみに私は原作のペーパーバックも持っていますので、読みたい人にはお貸ししてもいいですよ。
(でも人に本を貸すと、なかなか返って来ないんですよね。まあ、その時はその時ということで…)
いちいち探すのが面倒な人の為に、URLを貼っておきます。改行の関係でクリックしても飛びません。
(これはウィキペディア以外のものです)
http://www.kirikoclub.jp/movie/kakko/kakko-bottom.html
ここで問題なのは
「One flew over the cuckoo's nest」
の
「One」になれるかどうかってことでしょうね。
原作者(ケン・キージー)や監督(ミロシュ・フォアマン)のメッセージはそこにあると思います。
このサイトに来られた方は一度、観られたらいいかと思います。
精神病院で絶対権限を持って君臨する婦長による運営に、
一石を投じていく主人公が描かれてます。
話は変わって、
長年、T先生から聞かせて頂いていれば、いつか信心決定できる。
それを会員にも勧めれば宿善厚くなって、いつか信心決定できる。
それでもう絶対に間違いないはずだから、いつか信心決定できる。
T先生から離れたら(2000畳でしか)、・・・・・・・・信心決定できない。
だから何も考えずに上司の指示に従っていれば、いつか信心決定できる。
その「いつか」っていつでしょうか?
一石投じてみる意味はありませんか?
…私もこの映画を観てみようと思います。何かを感じたり考えたりする心って大切だと思います。人生時にはふと立ち止まって考えてみる必要もあるかも知れません。本当にこのままでいいのか、そんな疑問が大事だったりするんです。