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「仏願の生起」を本から末まで聞いて、疑いの全く無くなった時が決勝点との確言だ。
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「仏願の生起・本末」を聞いて、疑いの全く無くなった時が決勝点との確言だ。
こっそりと修正されていました。
「お詫びと訂正」は、ありませんが。
なるほど、うまいこと考えましたね。
でもね、これを
「頭隠して尻隠さず」
とか
「恥の上塗り」
とか
「オストリッチ(オーストリッチ=ダチョウ)症候群」(←若干ニュアンスは違いますけど)
と言います。
括弧の位置が右にずれただけ程度の訂正であって、この1文以外の変更はしていないと思われます。
少しは良くなりましたけど、「本末」の説明が全くされていないことは前と同じではないですか!
親鸞会講師部員の脳内では、高森会長の教えが絶対正しくて、お聖教の言葉は、「われわれ凡夫には、正しい意味など判るはずもない」から、まともに読んでいないのかも知れませんね。
信心の沙汰 って 私 は 相手の間違いと 自分の間違いを 本音ぶっちゃけ オープンにして 議論しましょうって ことでは ないのでしょうか。
ところが。他の間違いを徹底的に指摘
はするが、自分らは 間違いがあろうはずがない、と非難されたなら自己防衛に終始するのは、みっともないです。器が小さいというか。こそこそ直すのも、内容が外への立派な宣言だけに、書いている人は何者か 何も知らないんでは と 思ってしまいます。
ネット、2チャンネル って 使い方を誤らねば 本当に すばらしい勝縁ですよね。
でも、会は、被害者意識しか もちあわせれないのかな。まあ ことごとく 負けてしまっているから
当然なのでしょうけれど。こんなに実力のない団体だったかと思うと がっかりの気持ちと 怒りの気持ちが湧き上がってきます。
仏法の聞く縁になった ということと 説く人が だからといって善知識とは 限らない。
ということは思考すべきだし、悪知識は 捨てないと、他人事では ありませんよね。
誤りは 誤りで認め、主張することは主張する、大人の議論ができる会になってもらいたいもの。
だって、真面目な会員さんが 思考停止で犠牲者になるなんて。。。
だめですよ。