21世紀の浄土真宗を考える会

--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/08/13(金)
通常、「本願寺」と言った場合「西本願寺」を指しますが、念のために「真宗大谷派 東本願寺」のサイトから以下のメールを送っておきました。

------------------------------------------
この貴派のサイトとは直接関係はありませんが、

夢幻界裡の覚醒
http://mugenkairi.cocolog-nifty.com/blog/

というブログで「某(内緒)本願寺の僧侶・布教使をしている」と名のる人が、浄土真宗親鸞会の教義を宣伝・擁護しております。
この「本願寺」が、貴派か否かは定かではありませんが、万一貴派所属の僧侶または布教使でしたら、問題かと思いまして、メール致しました。
調査して頂けませんでしょうか。
なお、西本願寺には、直接電話をかけて調べてもらいたい旨をお伝えしました。
よろしくお願いします。
------------------------------------------

文中にありますように、本派の方には直接電話をかけました。
東本願寺派 東本願寺(浅草)は、「本願寺」とは言いませんので、電話・メールはしておりません。
右京区の本願寺も通称は大谷本願寺ですので、電話・メールはしておりません。
山科区の本願寺もありますが、考えにくいので、電話・メールはしておりません。

ブログ文中「宗祖」とありますので浄土真宗でしょうから、浄土宗など他宗の「本願寺」には、電話・メールはしておりません。
2010/08/04(水)
 第一、機の深信。
 現にこれとは、三世の中の現在。過去を受けた現在である。次の曠劫以来現在までの過去に対する語である。従って又、後の出離の縁なしとは未来に属する。過去、現在、未来に亘っての罪重のことを述べる。罪悪生死とは、罪悪によって生死を流転するので、罪悪の凡夫、生死の凡夫である。凡夫とは愚痴闇冥であって、我身、我見に執するを性とする者。『一念多念文意』多念章に

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。

といわれる。曠劫以来とは『信巻』至心釈には無始以来とある。以来というよりも、凡夫としての存在そのものの本質であるから浄土教ではこうあらあすのである。常没とは沈没であって、三悪道に沈没する。流転とは、六道を輪廻転生すること。疏主大師の『法事讃』に、

もつぱらにしてもつぱらなれと指授して西路に帰せしむれども、他のために破壊せられてまた故のごとし。曠劫よりこのかたつねにかくのごとし。これ今生にはじめてみづから悟るにあらず。まさしく好き強縁に遇はざるによりて、

とされる。この意味を『高僧和讃』善導讃に、

西路を指授せしかども
 自障障他せしほどに
 曠劫以来もいたづらに
 むなしくこそはすぎにけれ

と和讃される。法蔵因位の願行は罪重流転の衆生を生起とし、その第十七願には諸仏の咨嗟称が誓われ、その成就の相たる諸仏証誠は『小経』に詳しい。あれが諸仏無倦の指授である。今、曠劫流転という時、自ら障碍し、他を障碍して、空しく過ぎて来たわれらの過去を顕す。出離之縁とは弥陀の強縁に遇わないならば、未来もまら流転であろうという。これを『源空讃』に用いられる。

曠劫多生のあひだにも
 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずは
 このたびむなしくすぎなまし

 この機の深信を知る者は決して自己ではない。如来は一切衆生の実態を思惟して四十八願を選択されたのであるから、四十八願所被の機がここに示される。過去、現在、未来のわれらの実態であると、弥陀如来によって案ぜられ、諸仏によって告げられる。
 『往生礼讃』前序には、

二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。

と。『散善義』深心釈の解釈に大層な示唆を与えるものである。それは、ここでは深心釈が二項目しかない。即ち第一、機の深信と、第二、法の深信の二つだけであるということである。これは七深信でなくても、機法二種深信で足りておるということである。即ち七深信はこの二種に収まるということである。この機の深信では、善根薄少として、一見表現が軽いようであるが、流転の果報の因として信受するものであるから、『散善義』と変わらない。これを信受信知するのが第一、機の深信である。それは次の法の深信の四十八願を離れては成立し得ないものである。

 ついで出離の縁たる四十八願等の法を標して二者とする。いわゆる法の深信である。この一には、二にはについて「機法二種の深信」といったのは『六要鈔』である。西山の証空上人は『観門義鈔』に信機信法の語を使ってある。さきに、七深信の相互の関係を述べ、第二深信を『大経』深信であるといった。それでも四十八願とあって、『大経』とはない。そこで『礼讃』の二種深信が教えてくれるといった。第二深信には『三部経』が収まるというよりも、四十八願の法義が『三部経』に開説されていて、いま四十八願という。『礼讃』では「弥陀の本弘誓願」と言った。出離の縁あることなしという自身の出離の縁が四十八願の法である。『法事讃』には「正しく好き強縁」とある。『源空讃』では「出離の強縁」と使われ、『本典』総序にも「弘誓の強縁」とされる。この「強縁」とは縁の字を使うけれどもこれは因、強因、正因の意である。深信釈でいう出離の縁とは出離の強縁であって、正因である。
 衆生を摂受してとは第十八願の意である。衆生とは第一深信に示された、無有出離の縁である。摂取の語は『大経』五劫思惟段に、荘厳仏国清浄之行を摂取とあるが、今は『観経』第九観の、念仏衆生摂取不捨の摂取を取っての摂受であろう。第十八願の意を述べるのに四十八願はと出すのは、四十八願の主意は、仏身、仏土、聖聚の三厳を誓うけれども、それはただ一筋に迷いの衆生を来生させる意に基づく。従ってその意を『玄義分』には「一一願言」といい、『般舟讃』には一一誓願為衆生と讃ずる。今は逆に四十八願の語を標して、第十八願の意を述べるのである。この第二深信の文は、前半が約仏、後半が約生の仕立てになっている。疑い無くはその中間にあるので、仏の無疑か、衆生の無疑か、二義あり得る。次に無慮と続くので、無疑の前に「衆生」を入れて、これは以下を約生の文とするのがよい。即ち無疑とは下の彼の願力に乗じてである。『六要鈔』は、

若不生者不取正覚。正覚すでに成ず。ゆえに疑無く、即得往生住不退転。一念誤り無し。ゆえに無慮という。

とする。願が成就した。仏願は因願から果成に至るまで、仏の思慮周到であるから、衆生においては信受するだけで、慮り無用である。彼の願力とは『論註』下、不虚作住持功徳釈に、

いふところの「不虚作住持」とは、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。

とあって、願力とは、因願に相苻の果成の名号である。即ち乗彼願力とは聞其名号信心歓喜である。いま彼の願力に乗じて定んで往生を得というのは、『礼讃』の二種深信では、「名号を称すること下至十声一声に至るまで、定んで往生を得しむ」とされるに当たる。今は経の疏釈であるから、深信を列する。第二では乗彼願力といい、第七では一向専念弥陀名号、順彼仏願といわれる。『礼讃』は行儀の書に置く短い前序であるから弘願義を略示するもので、両書の所顕に差異はない。定んで往生を得とは『六要鈔』の示唆するように本願成就文の即得往生住不退転である。
 宗祖は『愚禿鈔』に七深信の整理をするについて、まず、第一と第二とを引用して、

いまこの深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。

といわれる。即ち「文の意」を七深信と理解した上で、なお深信は第一と第二に尽きるとされたのである。こう見込まれるには、『礼讃』の深心釈が大きな参考であったと思われる。金剛心は具さには金剛の真心。『信巻』では「金剛の真心は無碍の信海なり」という。広大な大慈悲の救済世界である。これは他力至極である。至極というのは自力の残滓の一片もない。純他力の義である。『行巻』行一念釈に選択易行の至極という。易の至極である。他力の至極は純他力にして自力なしの意を顕わした。一乗無上とは『行巻』に一乗海を釈して、「ただこれ誓願一仏乗なり」というように、仏教界唯一成仏法であって、即ち無上功徳を体徳に持つ真実信の世界である。この真実は、近くは次上至誠心釈に宗祖のいう利他真実であるから、仏辺に真実心中作の行徳を体とする信心である。
 このように名づけるのが第一深信と第二深信とを一つにまとめての名である。逆に言えば、一つの深信の心を開いたものである。この意味を解するには、次の七深信の標列を見ねばならない。そこには、第一深信から第七深信まで列ねてあり、第一、いわゆる機の深信には、「自利の信心なり」とあり、第二、法の深信には「利他の信海なり」とある。第二にこうあるのは、第二深信単独で利他の信海ならば、この前の機法二種を一つにしての他力至極の金剛心というのと同じである。第一、機の深信単独では自利信心というのは、機法二種を一つにしての真実信海というのとは逆である。単独では自力信心であるが、機法二種を一つにした時は他力信心である。法の深信は単独でも他力信心である。
 機の深信を第一深信釈として、深心釈に組み入れたのは、疏主においては如何なる意であろうか。十一門科は九品に通ずるとしたので、第四門、三心を弁定して正因となす項も当然九品に通ずる。第六門にはそれぞれの行について、受法の不同を明かすとし、行には品毎に差があるが、これを因とはしない。ひたすら三心を正因とする。この正因の中心は深心である。それは深信である。深信とは唯信仏語(第五深信)である。順彼仏願(第七深信)である。それに機の善悪、智慧は関係ない。
 仏願建立の正所被の機は賢聖の智人ではなくて、罪重の凡夫である。第十八願所誓の行である念仏が与えられているのは下三品の機である。下三品の機こそ本願の正所被であると示してあるのが『観経』である。散善三輩九品は、『観経』である。散善三輩九品は、韋提の所謂にはないものを、釈迦自ら開説して、四十八願、即ち第二深信の機は、これであるとして第一深信の機、即ち下品の機をこの深心釈に明らかにされたのである。こう疏主は示して下されたものである。
 法然聖人は善導大師のこの釈意を『往生大要鈔』(『和語灯録』)に、

 善導和尚は未来の衆生の、この疑を起さん事をかえりみて、この二種の信心をあげて、我らが如き煩悩をも断ぜず、罪悪をも作れる凡夫なりとも、深く弥陀の本願を信じて念仏すれば、十声一声にいたるまで決定して往生するむねをば釈し給える也。

と窺われた上で、この実践の行者に示して、

正しく弥陀の本願の念仏を修しながらも、なお心にもし貪欲、瞋恚の煩悩をもおこし、身に自ら十悪・破戒等の罪業をもおかす事あらばみだりに自身を怯弱して返りて本願を疑惑しなまし。まことに此弥陀の本願に、十声・一声にいたるまで往生するいう事は、おぼろげに人にてはあらじ。妄念をもおこさず、つみをもつくらぬ人の、甚深のさとりをおこし、強盛の心をもちて申したる念仏にてぞあるらん。われらごときのえせものどもの、一念・十声にてはよもあらじとこそおぼえんもにくからぬ事也。

といわれる。罪深く、救いがたき汝をこそ救いたまう法なるぞということである。

 宗祖が二種一具を他力信とし、第一機の深信単独は自力信、第二法の深信単独は他力信とする点を整理すれば、
 第一は第二から開き出したもの
 第一は第二の中に含まれるべきもの
という解釈である。即ち、罪重の機は如来の願意の中に籠められているものである。われら衆生の罪重にして一点の出離の縁もないということは、われら自身で知るべくもないのである。知られる側の私は、私によって知ることが出来るが、その、知る側の私を知る私は居ない。知られる側の私は、罪深い者であると、私の側の私によって知られるだろうが、罪が深いと知れば知る程、知る側の私は賢く、憍慢の自力である。知る側の私を捨てようとすれば、なお捨てようとする自身が残っている。自己の内省、自己否定、求道などということを立てる限り、解くことの出来ない矛盾であり、自分では克服することは出来ない。それが出来るのは、他者に依らねばならない。そこに、他力の如来があって、汝は罪重し、無有出離之縁と私を徹見し、その故にこそ超世希有の願を建立されたのである。衆生としては唯信仏語という。仏語の中に機の深信を聞信するのである。それが第二深信である。機の深信は法の深信から開いて示したので、法の深信に内包されるものである。疏主が四十八願をもって出す所の『大経』弥陀分、即ち弥陀の因果を説示する中には、一語も衆生に罪重と告げる所はない。ないけれども、七高僧、殊に曇鸞大師が『浄土論』の二十九種荘厳を註解するに当って、後に末註諸家のいう所為の境、能為の願、成就の相という項目でもって示したことの中、所為の境が、迷界の依報、正報の救いがたい苦悩の姿である。更に道綽禅師は時に約し機に被らしめて、唯有浄土一門、可通入路と見られた。このような先賢の卓見を受けて、ここに至って浄土教の中心問題である深信の構造が、二種深信という形で明示されたのである。
 『大経』本願成就文の聞其名号を宗祖は。仏願の生起本末を聞くと釈した。如来は如より来生して因位の大乗菩薩を現じた。その現ずる所以は一切衆生にこの大乗菩薩の本末を示現呈示するにある。そこを一切衆生に説示したのが、釈尊の『大経』教説であり、それが釈尊出世の本懐であった。釈尊は『大経』に従如来生の、弥陀の因果を説いた後、釈迦分に、三毒段、五悪段を説いて衆生に勧信した。この三毒五悪の段に七高僧が仏願の「生起」即ち四十八願の正所被の機を見た。無有出離之縁の衆生であると見抜く示唆が、三毒五悪の所にあるのであろう。疏主に至っては、本願及び成就文の唯除五逆、誹謗正法の文の中に、むしろ能被の慈悲と所被の機を見、機の深信にいう無有出離之縁の者と顕された。
 法然聖人は機の深信の独立単行を案じて、『往生大要鈔』に、

ほとけの本願をうたがわねども、わが心のわろければ往生はかなわじと申あいたるが、やがて本願をうたがうにて侍る也。

として、信機の単行は『大経』に説かれる信罪の心を意味する本願疑惑に発する義を説かれた。『愚禿鈔』に機の深信が単独であることは、自力の信であるという意味がここにある。
 先に述べたように、自分による自分の反省、内省は不可能であるとしたが、それが可能であるとして、自身を罪重と見る自身の誤りに着眼出来ず、むしろ自己を罪重と見ることの出来る自己の力を信じているのであり、これは信罪の心である。即ち、自利の信心とする所以である。機の深信単立では自己の完全否定は到底不能である。
 念仏は如来の法である。そのことをあらわすのが第二深信、法の深信である。七深信の列標の第二には、即ちこれ利他の信海なりとある。機の深信は法の深信に含まれるものである。如来が衆生の性を無有出離之縁と見られた上に四十八願は立てられている。如来によって「汝は出離の縁なき者なり」と告げられ、同時に「汝を必ず救う」と告げられているのである。文に衆生を摂受すという衆生とは出離の縁なき一切衆生である。如来の生起本末といわれる五兆の願行は、衆生救済の到徹せる計らいであって、仏智不思議である。この法のはたらきかけにすべてを挙げて託するということは、自己のすべてを捨てるということである。自己を捨て切るには法の摂受が信受されなばならない。この如来の法を願力名号に於いて信受するのを乗じてといった。自力を捨てて他力に乗託するの義であるから、捨自帰他、捨機託法という。如来の、衆生の自力無功という前提を信受することが自力を捨て、自己を捨てる、自己を忘れる、自己の如来による否定を受け入れることである。行き届かざるなき如来の計らいを宗祖は仏智の不思議という。この仏智不思議に帰するのである。
 われわれの受法とは、大慈悲の如来あってこそ自己の全否定が信受するされるのであり、自己の全否定であって大慈悲の如来を信受することが出来る。この二つには前後はなく、二つの事実もない。本願の信楽を機法両面から顕したものである。『愚禿鈔』に、信受本願、前念命終という。信受本願とは成就文の信心歓喜であり、本願に乗託することである。前念命終とはその時に自己のすべてを本願海中に投託するので、曠劫流転の業命は命終する。即得往生は後念即生なりとは、本願成就文の即得往生住不退転というのは、信益同時に、往生成仏への念仏者の命が始まるという程の義である。正定聚の命が始まったのである。前念後念の語は『礼讃』前序に、前念命終、後念即生とあるものの、語を借りたのである。『礼讃』では命終と往生と間髪を入れないことを顕したが、『愚禿鈔』ではそれを信の初際に当てたのである。従って前念後念といっても、信受本願同時に即得往生住不退転であって、いわゆる信益同時である。
 以上第一信機に対して、第二だけを取り切って信法とされたのはなぜか。第三『観経』深信、第四『小経』深信をも含めて、少なくとも信法を大観小の深信としないのは何故かといえば、さきに触れたように『礼讃』前序の深心釈に信機、信法の二項目とし、『観』『小』両経は出ていない。もっとも法の深信とされる第二項にも『大経』とは出ていない。このことは当『散善義』も同じである。『大経』は『三部経』の中でも特別であるという取扱いである。宗祖に至っては『大経』は真実の経であって、『観経』『小経』は第十九願、第二十願開説の経であると見られるので、三経が同等の価値ではない。『観』『小』両経は『大経』法義の持っている慈悲方便の面が説き出されるのであるから、その根本である四十八願を挙げれば、すべての法義を持しているものである。即ち第三深信、第四深信には隠顕があるので今は両経は出さない。その点で『愚禿鈔』に第一と第二とを一組として真実信海とされてあることは、宗祖の研究の成果である。これは深々と釈家の意を尋ねられた答えである。
 以上、宗祖の二種一具の深信義を窺って来た。『選択集』三心章には、『散善義』の三心釈を二河譬まで引用されるが、その釈は誠に簡略であり、深心釈にも宗祖に示唆したものはない。もっとも語としては宗祖には二種深信はない。第一深信と第二深信を合して「二種」と呼ぶことを拒否するものを考えておいでたのが宗祖であろうか。

タグ : 深川倫雄 二種深信

2010/08/03(火)
浄土真宗の専門ではない人の書いた本ですが、いい本です。
多くが1950年~1960年に書かれたものです。


柳宗悦 妙好人論集 (岩波文庫)柳宗悦 妙好人論集 (岩波文庫)
(2004/02/17)
柳 宗悦

商品詳細を見る


目次
 仏教に帰る
 徳川時代の仏教を想う
 真宗素描
 真宗の説教
 仏教と悪
 地蔵菩薩のことなど
 色紙和讃について
 妙好人
 妙好人の存在
 妙好人の入信
 信者の答え
 宗教と生活
 弥陀信仰
 源左の一生
 信女おその
 受け取り方の名人
 「応無所住」の話
 馬鹿で馬鹿でない話
 妙好人の辞世の歌
 『市太郎語録』紹介
 奴
 凡人と救い

タグ : 柳宗悦 妙好人

2010/07/31(土)
武邑尚邦氏の『仏教思想事典』(教育新潮社刊)を拾い読みをしておりました。

「苦行」の説明
 もともと、「苦行」とは、インドにおいて生死輪廻と、そこでおこる苦しみからの解放をねがって実行される苦しい修行のことをいう。
 インドにおいて古くから輪廻という考え方が人々の間に定着するようになると、人々はこの輪廻からの脱却を願って、解脱涅槃の境地を求めようとした。思うようにならない、この現実苦が死後においても、永久に続いてゆく、そして人間は未来永劫に苦しみを受けねばならないという思想の中で彼らは苦しんだ。そして、そのような輪廻の苦をたちきろうとして苦行を実行し、死後の生天を願い楽を得ようとの願いをもったのである。
 というのは、現実のこの苦は前生の報いであると考えた彼らは、この過去の結果としての苦を積極的に苦しみ、早くそれを精算して、未来の楽果を求めようとしたのである。このような考えをもった人々を宿作外道と仏教の側からよんでいるが、この人々は世の中には苦と楽とよりほかはないとし、過去の因により。いま苦果をうけたのだから、これを早くなしおえて楽果をえようと期待したのである。
 さて、かれらの実行した苦行がどのようなものであったかについては、経典中にいろいろと伝えられている。たとえば『涅槃経』などの所説である。また『百論』などにも仏教側からするいろいろの説明がなされているが、これらを六種にまとめてみるとことが古来行われている。すなわち(一)自餓(二)投渕(三)赴火(四)自坐(五)寂黙(六)牛狗の六種である。
 まず自餓とは自ら飲食を求めずして、長く飢餓にたえる苦行をいう。投渕とは寒い時期に深い渕に入って、そこで凍りつくような寒さをうけ、それをたえしのぶ苦行をいう。赴火とは身体を酷熱にさらし、その熱悩にたえる苦行をいう。自坐とは常に裸形にして、寒い時も暑い時も、屋外に坐して、その苦を忍受する苦行をいう。寂黙とは屍林や墓場などで生活し、他と全く言葉を語らずして、孤独に堪える苦行をいう。牛狗とは自分は前世に牛や狗の世界であったとして、草を食し、汚物をとって牛狗と同じように生活し、生天を願って苦行することをいうのである。
 これらの種々の苦行を修行して、苦の解消を願って、未来に楽のみの世界を期待したのである。すなわち、このような人々は、人生には苦楽の二面のみがあるとし、その苦の一面をなくしてしまえば、他の楽の一面のみが残ることとなるから、苦痛を自ら継続して受けることによって苦をなくしてしまおうとしたのである。
(以下略)


 なるほど、宿作外道ってこういうのなんですね。
 でも今でもどこかでありそうな気がしました。

タグ : 武邑尚邦 宿作外道

2010/07/29(木)
知人に勧められて
天岸浄圓司教の『浄土真宗のキイ・ワード ナンマンダブツの26章』
を買ってきました。
(探究社刊 平成4年初版発行 ISBN4-88483-298-1 定価525円)
目次は最後に書きますが、御縁があったら皆さんも買われたらよろしいですよ。
最初の1,2頁から吹いてしまいましたので、その部分を紹介します。
(決して悪い意味ではないですよ)

最初のキイ・ワードは「阿弥陀仏」です。

阿弥陀仏
-------------------------------------------------
南無阿弥陀仏の名号とは
如来さまの救いの事実をあらわすみことば

-------------------------------------------------
如来さまの大悲のこころが
 ご承知のように浄土真宗のご本尊は、形式上から名号・絵像・木像の三つに分けることができます。
 親鸞聖人がご本尊と敬信ご依用になられたのは“帰命尽十方無碍光如来”の十字名号であって、現在、浄土真宗が絵像・木像を安置していることは誤っていると、本尊の問題を中心にはげしく行動したグループがあったことは皆さんの記憶に新しいことでありましょう。
 この人たちは、私の寺にもたずねてきました。「ご本尊さまにおまいりさせていただきます」と本堂にまいり、やがて庫裏へきて、「こちらのお寺のご本尊は木像であって、お名号ではありませんね、親鸞聖人のみ教えと違っているのではありませんか」・・・・はじまったな、しかし私にしてみれば“なにいうてんねんこのご本尊がお名号といただかれへんのか、顔でも洗って出なおして来い!”の心境でした。
 “名号”とは単なる仏さまの名前ではなく、また文字でさえあればよいというものではありません。南無阿弥陀仏の名号とは、如来さまの救いの事実をあらわすみことばであります。故にこそ親鸞聖人は敬信の対象といただかれたのでしょう。
 逆にいうと、尊号であっても、尊形であっても如来さまの大悲のこころが領解されることがなければ、いずれにしても意味がないというべきです。
 さて、立像の阿弥陀仏像は行動する如来さまをあらわしているのです。すなわち、今日苦悩の中に生きる私を救わんがために立ちあがり、私といのちをともにして、精いっぱいはたらいてくださる如来さまのお姿なのです。
 ちなみに、浄土宗も立っておられる阿弥陀さまをご安置されますが、このときは臨終に念仏者を浄土から迎えにこられる臨終来迎のお姿をあらわしているといわれています。ならば平生の私たちは何をよりどころとすればいいのだろうかと思われます。
 これに対して浄土真宗の如来さまは平生摂取のお姿といわれ、私の今の問題と正面きって対応してくださっているのです。
(以下略)



では、「もくじ」を紹介して、この記事は終わります。
 阿弥陀仏
 学仏大悲心
 タノム・タスケタマヘ
 仏語
 聖教を読む
 正信偈
 恩徳讃
 聞く
 極楽浄土
 浄土往生
 法蔵菩薩
 五劫思惟
 南無・帰命
 お念仏
 ただ念仏して
 仏さまに遇う
 妙好人
 教信沙弥
 独生独死、独去独来
 無常
 無知
 本願
 誓願不思議
 無量寿
 摂取不捨
 舎利弗

タグ : 天岸浄圓 本尊

2010/07/28(水)
 先日京都へ行った時に何冊か本を買いました。
 ウェブサイトに「真宗百論題」http://shinshu-21.com/shinshu_100/をあげたこともあり、大江淳誠和上の『安心論題講述』を買いました。
 知人から目次だけでもブログに書いて欲しいと依頼されたのですが、安心論題が25書いてあるだけです。目次を書くことは意味がありませんので、やめることにします。

 その代わりと言っては何ですが、石田慶和教授の『親鸞思想の諸問題』も買いましたので、そちらの目次を掲載します。

 何だ関係ないではないか!と思わないでくださいね。
 石田教授は安心論題については一家言ある人で、新しい論題を提案しておられます。
 興味のある人は『これからの浄土真宗』『教行信証の思想』などをお読みください。
 石田教授の本には『21世紀の浄土真宗』という本もあります。(なお、このブログとは一切関係ありません)

『親鸞思想の諸問題』(石田慶和編 永田文昌堂刊)目次

親鸞思想の哲学的理解について………………石田慶和   3
 ――<信一念・行一念>をめぐって――
  一 哲学的理解ということ
  二 日本における宗教哲学の展開
  三 「信一念」について
  四 「信一念」の教学的理解
  五 「信一念」の哲学的意味
  六 「行一念」ということ
  七 「行一念」の教学的理解
  八 「行一念」の哲学的意味

現代における浄土の観念………………………長谷正當  37
 ――土における超越――
  一 空をめぐる二つの問題――ニヒリズムと構想力――
  二 構想力と身体の問題
  三 身体と土の問題
  四 浄土の観念と現代のエコロジーの問題

歴史社会における「親鸞」……………………高田信良  63
  一 課題としての「現代における親鸞」
  二 歴史社会における「親鸞」
   (a)「親鸞」の二義性
   (b)信心の主体・象徴としての「親鸞」――報恩講と正信偈――
   (c)「親鸞」の独自性――己証・発揮、信楽の思惟――
   (d)念仏者にとっての「菩薩の化身」
  三 課題としての「法と機と時」

無量の寿命………………………………………氣多雅子  87
  一 寿命無量の願
  二 ブッダの死
  三 入涅槃
  四 ブッダの最後の問題
  五 身体の始末
  六 菩薩の寿命

寛容の徳の捉えにくさ…………………………谷本光男 111
   はじめに
  一 現代における不寛容の形態
  二 寛容の要求
  三 寛容の強い意味と弱い意味
  四 宗教的寛容と人種的寛容
  五 反対のための理由と抑制のための理由
  六 結びに代えて

親鸞における相承の問題について……………森田真円 139
   はじめに
  一 会通の視点
  二 浄土教理史の視点
  三 親鸞の相承観

親鸞と本覚思想…………………………………嵩 満也 155
  一 中世思想史学からの問題提起について
  二 中世日本の本覚思想
  三 親鸞思想と本覚思想の関係についての諸説
  四 中世における本覚思想の問題点
  五 親鸞の思想構造と本覚思想
  六 今後の課題

特別寄稿
探求としての理性………………………………薗田 坦 183
 ――カントにおける理性と形而上学の問題

附録
石田先生の宗教理解をめぐる雑感……………西元和夫 207
 ――思い出すことなどと併せて

タグ : 石田慶和

2010/07/27(火)
蓮如上人の最後の御文章は帖内の4帖目第15通「大阪建立」だと思っている人がいるかもしれませんが、そうではありません。
年月日の分かるもので最後の御文章は明応7年12月15日、上人84歳の時のものです。
(真宗聖教全書5ー439頁)

「大阪建立」の御文は明応7年11月21日ですね。

ちなみに、御筆はじめの御文章は寛正2年3月、上人47歳の時のものです。
(真宗聖教全書5ー287頁)

これはインターネットで検索すればどこにでも書かれているでしょう。
ここでは故千葉乗隆教授のお寺である「千葉山安楽寺」のHPの該当箇所を紹介しておきます。
http://www.anrakuji.net/bukken/bukken299.html

タグ : 蓮如上人 御文章 帖外御文 千葉乗隆

2010/06/05(土)
豊島學由師の著作より
豊島師は中央仏教学院講師で本願寺派の布教師さんですが、いくつかの著作もあり、総会所でも時々説法されています。
稲城選恵和上とのご縁が深いようですね。
いくつかの著作を読ませていただきましたが、大変わかりやすくお薦め致します。
(「法話集」「小話集」という形を取っていることが多いので、1冊の本の中でも重複した話が掲載されていますが、それはまたそれでよろしいかと思います)

『死はかねて生のうちにあり』(豊島學由著 自照社出版刊 平成20年)118頁~
 安心とは、文字通りに解釈すれば、横になって寝る状態です。だから安静ともいいます。確かな「信心」を落としたり失ったりしないようにしっかり握っているようなのとは逆で、まったく力みのない状態であります。ある作家は、「親鸞聖人の信心は簡単に獲得したのではなく、疑って疑ってどこまでも疑って、疑い切れなくなった上での自力の極限において獲得した信心であるから、どんなことがあってもくずれるような信心ではない、そんな浅い信心ではない」といっておりますが、それは硬心であって、それこそ自力心の状態であります。また「信ずる一つで救われる」という表現をよく耳にしますが、これを聞く側にとりましては、信じたら救われるというふうに、信じるのはこちらのすることのように誤りやすい表現であります。

 このような立場に立つとどうなるかを考えてみますと、「私は如来の救いを信じております」となって、絶対間違いないと思い込んだ状態なのであります。今この原稿を大雨のさなかで書いておりますが、私は「大雨であることを信じております。大雨を疑っておりません」と少しも言う必要がありません。天気予報で明日は多分大雨ですなどど聞けば、私は雨に間違いないと思います。しかし、それはあくまでも明日のことであります。真宗のご信心は、来世のお浄土参りに間違いないと信じこむことでなく、今現在必ず救うの本願成就の名号の聞こえたままがご信心であります。蓮如上人が「行者のをこすところの信心にあらず」といわれたのは、こちらが信ずることではないと言われたものと窺います。

 小山法城和上のご生前中、機会あるごとに布教の心得をお教え頂いたのでありますが、和上のいつもおっしゃっることは「お同行は寝かせておいてもいいから、お名号を寝かせておくようなご法話はするなよ」のご注意でした。お同行に、よく聞いたら、信じたらと、聞き手を力ませるような話は、たいていお名号を向こうに置いたままおいわれと称して説明や解説に力を入れてお名号のご讃嘆を忘れているからだよと言われました。

 それにしても親鸞聖人の最大の問題は、自力心にあったことはその主著『教行信証』の構造を拝見しても伺えるのであります。自力心は、救いについて善悪を問題にする心です。人間である限り、この自力心を克服することは、最も困難な行であります。分別理性をもつ人間にとって、難中の難と言わざるをえません。

 一般に信心というと、自分の方に救われるものがらを作ることのように思い、信心を頂くといえば何か頂いたものを予想しますが、聴いて間違いない手ごたえのあるものができたのなら、それは正真正銘の「聴き癌」です。本願成就のお名号はその「癌」を取り除いてくださるのですから、聴いてできた「聴き癌」のとられたのをご信心と申すのであります。妙好人はいろいろなタイプの人がおられますが、

「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし、自力というても苦にゃならぬ、他力というてもわかりゃせぬ、親が知っていれば楽なものよ」

なんとみごとな、そしてさわやかなご信心の表現でしょう。

「ナンマンダブツにうたがいとられて、才市うたがいどこにいった、六字の中でごおんよろこぶ」

ここに信心正因・称名報恩に生きるお同行の尊い人生があります。

タグ : 豊島學由 信心

2010/06/05(土)
『認められた人生』(豊島學由著 自照社出版刊 平成20年)47頁より
(強調は私がつけました)

 利井鮮妙和上が
  ああ辛と言うは後なり唐辛子
と言って、真宗のご信心を表しておられます。舌の上に唐辛子が乗った時が確かにあるのです。けれども私が辛いと思ったのは、乗ったその後なのです。
 しかし、辛いとわかったときに救われるのだと、時刻に固執する聴き方、説き方をした人が、以前、和上さんにおられたのです。そういうことを「一念覚知」といって騒がれた時代があったのです。それほど人間というものは、「異安心」と呼ばれようとも、確かなものがほしいという心があるのです。
「たすかるか、たすからないかわからないような教えを聴いていて、そのまま死んでいくのでは心もとない」という人があるのですけれども、それは確かなお六字をお留守にして、聴き心のほうに確かなものをもたなければ救われないと思っているからです。

タグ : 豊島學由 利井鮮妙 一念覚知

2010/06/04(金)
久堀弘義師の著作から引用します。
久堀師は人間魚雷回天の特攻隊長出身だそうです。
本願寺出版社や自照社出版からの本があります。
自照社の本は梯和上との共著が多いですね。
村上速水師と同様、大江淳誠和上の薫陶を受けられたようです。

『阿弥陀仏と浄土 ――曇鸞大師にきく――』
久堀弘義著 本願寺出版社刊 昭和59年 ISBN4-89416-108-7)
失礼な言い方になってしまいますが、なかなかいい本です。

二 教材について
(3)伝統と己証
 宗祖の教義が形成されていく中で、宗祖の思考に大きな影響を与えた二つの流れがあった。七祖を上三祖と下四祖に分け、上三祖をもって「大経ずわり」といい、下四祖をもって「観経ずわり」とすることについては、かなりの異論があることも知っている。
 しかし、私は、この見方は正しいと思っているので、あえてこれに従えば、二つの流れとは、この上三祖と下四祖の流れである。曇鸞は竜樹・天親の思想を統一的に継承しているので、上三祖を代表するものと考えていい。
 又、宗祖にとての面受の師であるから、法然をもって下四祖の代表と考えられるけれども、法然自らが、「偏依善導一師」といっているのであるから、下四祖は善導に代表されるといえるだろう。
 端的にいえば、宗祖の思想が形成されるに当っては、この曇鸞の思想と善導の思想が、大きな影響を与えている。しかも、その二つの流れが、宗祖において巧に綜合されて、真宗教義が形成されていると考えられる。
 しかし、その与えた影響については、曇鸞と善導とは、いささかその趣を異にしているようである。曇鸞教義においては、後に詳述するように、「一如顕現」という一点に立ち、「阿弥陀仏」も「浄土」も、又、「信心」も「念仏」も、すべて一如に還源せしめ、その本体論的解釈をもって、その特質とする。
 これに対して、善導教義においては、「専修念仏」という一点に立ち、すべてを実践論的(行信論をも含めて)に解釈することを、その特質としている。この二つの流れが宗祖の思想に影響を与え、しかも、それが巧に宗祖によって融合されていったことに、大きな意味がある。
 すべてのものごとは、ただその現象にのみに心を奪われて、その本音を見究めることを忘れてはならない。そこに、本体論的解釈に思考を集中した曇鸞の教学が、評価される。けれども、本質を論ずる場合、それはともすれば抽象論、もしくは観念論へ傾斜していく危険性をはらんでいるようである。
 曇鸞の教学をもって、観念論といっているのではない。その教学を教学するわれわれの側のことをいっているのである。現に、『二種法身』のあの解釈を、「法性法身」にのみに捉われて、阿弥陀仏信仰を持って偶像崇拝であるなどと誇らしげにいった学者もいる。又、阿弥陀仏も浄土も信心の上に現成する世界であるなどと、観念論をまき散らした学者もいる。
 曇鸞の思考の方向においては、全く考えられないことが、それを教学する側に結果として出てくることを思うとき、本体論的解釈の持つ危険性は、充分意識しておくべきである。
 ともあれ、この曇鸞の本体論的解釈は、もろに宗祖の中に受けつがれていった。このことは、やがて明らかになる筈であるが、しかし、ただそれだけであるならば、宗祖は思想家としての親鸞ではあっても、宗教家としての親鸞ではあり得なかったにちがいない。
 宗祖が宗祖たり得たのは、曇鸞を受けつぐとともに、法然との出あいを通して、善導との出あいを果たしたからである。単なる思想としての浄土教ではなくて、専修念仏というひたすらなる実践において、万人の救いを成立せしめるという浄土教が、善導によって開かれていた。
 法然を通して、この善導教学を受け容れた宗祖は、曇鸞の教学における本体論的解釈の持つ観念論への傾斜を、見事に克服し、浄土真実の教えを開顕していったのである。
 曇鸞の「一如顕現」に立つ本体論的な解釈と、善導の「専修念仏」に立つ実践論的な解釈が、宗祖において巧に統一されて、浄土真宗が開かれているのであるから、私たちは教えを説き、法を伝えんとするとき、宗祖教義におけるこの特質を、先ず確実に押さえておくべきである。
(中略)
 今、私たちにとって、必要なことは、現代人に向かって、胸を張って阿弥陀仏を説き、浄土往生を説くことのできる自信を回復することである。そのためにこそ、先に述べた宗祖教義の原点に帰らねばならない。それは又、曇鸞・善導の教学に帰ることであろう。
 両者は中国における、又、千年から千三百年以前の思想である。それでいて、現在なお私たちに、新鮮さと躍動感をもってせまってくるのを覚える。『往生論註』と『観経四帖疏』は、現代の書であり、現代の思想であり、現代の宗教である。両書から与えられる深い宗教的感動にゆり動かされた宗祖は、『高僧和讃』曇鸞讃に三十四首、善導讃に二十六首、その感動をうたいあげている。
 私たちは、この宗祖と感動を共にしたとき、初めて自信をもって教えを説くことができるだろう。阿弥陀仏不在、浄土不在の伝道から脱却すること、信心・念仏の原理的立場を回復することは、何をおいても今、伝道者としての私にとって最も必要なことではないか。

タグ : 久堀弘義 曇鸞大師 善導大師

2010/06/03(木)
 村上師は末尾に「今後さらに親鸞教義を深く研究される場合には…」と書いておられますが、親鸞聖人の教えを理解する時に、曇鸞大師善導大師の教えられたことの学習は欠かせないと思います。
 以下、『親鸞教義とその背景』(村上速水著 永田文昌堂刊 昭和62年)からです。

第二節 七祖の教え
 序 七祖の選定

  七祖選定の基準
 (略)

  七祖の著作
 (略)

  七祖の発揮
 (途中まで略)
 また、昔の学者の講録などには、「終吉」という言葉が出てくることがありますが、これは善導大師と源空上人との教義が非常に類似しているところから、「終南」と「吉水」とを一連にして、簡略に呼んだものであります。

  曇鸞大師善導大師の地位
 以上、七祖に関する全体的な、そして基本的な事柄について述べてきましたが、次に親鸞教義における七祖の教学の位置づけを考えてみたいと思います。私の率直な気持ちを申しますと、親鸞教義の骨格を形成するものは、曇鸞大師善導大師の教義であるといってよいと思います。このことは『高僧和讃』において、曇鸞大師を讃えられる和讃は三十四首あって最も多く、次いで善導大師の二十六首であることに端的にあらわれていると思いますが、殊に『教行信証』において重要な解釈のところには、必ずといってよいほど曇鸞大師の『往生論註』、善導大師の『観経疏』が引用されているという事実、またその引用の回数が多いことによって論証することができると思います。
 『教行信証』は親鸞聖人における仏教概論であるといってもよい書物ですから、全体にわたって大乗仏教の原理が説き述べられています。しかもその原理を踏まえて、他宗とちがった浄土真宗独自の教義が説かれています。このように見る時、親鸞聖人は、仏教の原理的な面は主として曇鸞大師の『往生論註』によって説かれ、真宗独自の実践的な面を述べられるところは、善導大師の『観経疏』によっておられるといってもよいと思います。もしこれを喩えるならば、『往生論註』という縦糸と、『観経疏』という横糸とで織りなされた一反の織物が、『教行信証』であるということができましょう。そういう意味で、今後さらに親鸞教義を深く研究される場合には、『往生論註』と『観経疏』との研究が、特に重要であることを心得ていただいたらと思います。

タグ : 村上速水 曇鸞大師 善導大師

2010/06/02(水)
村上速水師の本を読みました。
今後の指針となるような文がありましたので、書きとめておきます。

『親鸞読本』(村上速水著 百華苑刊 昭和43年)
一二 弟子一人ももたず
<親鸞の伝道方式>
 ところで彼の伝道の方式はどのようなものであったであろうか。彼の伝道は、地方の小堂や、あるいは民家を改造した程度の場所で行われた。またその布教の様式は、いわゆる談合という形で行われた。一見、平凡に見えるこの伝道布教の様式は、しかし、寺院という場所において、唱導という形式で行われた当時の伝道方式に対して、注意されなければならない。

 というのは、当時の寺院は特権階級の人々によって建立されたものが多く、貴族の手によって建てられた寺院の如きは、別荘の感を呈して特定の人に独占され、一般の民衆には閉ざされたものだったからである。そういう事情を思いあわせるならば、親鸞が寺を建てなかったということは、経済的な理由もあったかもしれないが、それ以上に重要な理由として、彼の非僧非俗の精神の現われとして理解されるのである。なぜならば、弥陀の本願はある特定の人に独占されるべきものではなく、広く一般大衆に宣布されなければならぬというのが、彼の本願に対する信仰であったと考えられるからである。

 のみならず、法然と弟子信空との次の問答を想起するならば、親鸞のこの伝道方式の中には、法然の精神が如実に継承されていることをよみとることができるように思われる。

 法蓮坊信空問う
  古来の先徳みなその遺蹟あり。しかるにいま精舎一宇も建立なし。
  御入滅の後、いづくをもてか御遺蹟とすべきや。
 上人(法然)答えていう
  あとを、一廟にとどむれば、遺法あまねからず。
  予が遺蹟は、諸州に遍満すべし。
  ゆへいかんとなれば、念仏の興行は愚老一期の勧化なり。
  されば念仏を修せんところは、貴賤を論ぜず、
  海人魚人がとまやまでも、みなこれ予が遺跡なるべし
(近藤註:「いとー日記」に説明がありますので、「いとー日記」のここも読んで下さい。いとーさん、勝手に借りますよ)

その長い生涯に一箇の寺院も建立しなかった親鸞の心情も、これと同じものがあったにちがいない。

 ところでこのことは、彼の布教が談合という形で行われたこととも無関係ではない。唱導という形をとらず、民衆とともに親しく仏法を語り合ったところに、彼の宗教の庶民性が見出される。いいかえれば、彼は伝道者、教化者としてではなく。同朋同行として民衆と接したのであった。

タグ : 村上速水

2010/05/21(金)
本日5月21日は西本願寺、専修寺、錦織寺などでは「降誕会」ですね。
ちなみに西本願寺、専修寺、錦織寺などでは「報恩講」は1月16日です。

親鸞聖人の御生誕になられたのが5月21日で、御遷化になられたのが11月28日と教えているところがありますけど、どういうことなのでしょか。

このことについては以前にも書きました。

幾たびか お手間かかりし 菊の花(加賀の千代女

ついでに…
同じ石川県白山市の人に暁烏敏氏がいますが、暁烏氏の歌碑が自坊の明達寺にあります。

十億の人に 十億の母あれど

 わが母に まさる母あらめやも


タグ : 降誕会 報恩講 加賀の千代女 暁烏敏

2010/04/01(木)
SNSにはすでに同じ内容の文をあげておりますが、日記ではなくコミュニティのトピック内の為、SNSに参加しないと読めませんので、あらためてここに書きます。
一部、聖典セミナーなどの内容と同じですね。

救いということ とくに現生正定聚をめぐって
 梯實圓師(永田文昌堂『仏と人』39~43)←まだ買えます

一、歓喜と慶喜
 「浄土真宗の救い」を、一言で表した言葉に「現生正定聚、当来滅度」という言葉があります。阿弥陀如来の本願を疑いなく受け容れる信心が初めて起こった信の一念に、現生(この世)において、浄土に往生し仏になることに決定した正定聚の位に入り、そして当来、この世の「いのち」が終わったときには、お浄土に生まれてさとりを開かせて頂くことであるというのです。確かにそのとおりですが、ただ、その内容が問題です。言葉がわかっていることと、事柄がわかっていることとは別ですし、言葉を知っているというだけでは、絵に描いた餅みたいになってしまいます。そういう意味で、一体、現生正定聚ということがどういうことなのか、あるいは浄土に往生してさとりを開くということが、どんなことを意味しているのか、ということを確認していくことが大事だと思います。
 そこでまず、その現生において正定聚に入るということを中心にお話をしたいと思います。実は、煩悩具足の凡夫が、凡夫であるままで、現生において正定聚の位にはいるというようなことを仰ったのは親鸞聖人だけで、法然聖人といえども言い得なかったことをズバリと言い切られたわけですが、それには学問だけでなく、親鸞聖人の深い宗教体験が裏打ちされていました。
 それを窺うについて、親鸞聖人が、如来のお救いにあずかった「よろこび」を表現されるとき、言葉を微妙に使い分けられていることを手がかりにしていきたいと思います。日本語で申しますと、「よろこぶ」ということなんですが、それを漢字で表記することで、「よろこび」の内容の違いを表現しようとされているわけです。具体的に申しますと「慶喜」とか「慶哉」とかいうように「慶」という字で「よろこび」を表現する場合と、「歓喜」という言葉を使って「よろこび」を表現する場合で「よろこび」の内容を違えていらっしゃるのです。「歓」といっても、「慶」といっても、語源の違いから来る文字の意味に少しの違いはありますが、同じように「よろこび」を表していて、特に使い分けるということはありません。経論などの用例でも「慶喜」であっても「歓喜」であっても別に変りはなく、「よろこぶ」という意味で使ってあるようです。ただ、親鸞聖人はこの二つの言葉を使い分けられるわけです。
 まず、「慶喜」の「慶」について、「慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり」(『一念多念文意』)とか、あるいは「慶喜といふは信をえてのちによろこぶこころをいふなり」(『尊号真像銘文』)というふうに言われております。従って、この場合は、「お救いを頂いて有難うございます」と、現在すでに救われている状況を喜んでおられるわけです。
 それに引き替え、「歓喜」というときは、「歓喜はうべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」(『一念多念文意』)といわれています。「うべきことをえてんず」ですから、まだ得ていません、得てはいないけれども、得るべきことを必ず得るであろうと、かねて先立って喜ぶというのですから、「よろこび」を未来形(将来形)で語る場合であって、このときは「歓喜」という言葉を使うというのです。
 『教行証文類』には、沢山のお経の言葉、あるいは論・釈の言葉を引用されます。その引用文の中に「歓喜」や「慶喜」が沢山出ていますが、両者を特に使い分けられているわけではありません。しかし、親鸞聖人はこのように「よろこび」を表す言葉を厳しく使い分けられたわけです。それは浄土真宗の教えでは、現生で獲る利益と、当来(将来)に浄土において実現する利益との違いがあったからです。それを現生では正定聚、当来には滅度と言い習わしているわけです。
 ところで『教行証文類』を拝読していますと、聖人が御自身の「よろこび」を述べられるときは、必ず「慶喜」あるいは「慶哉」という言葉を使われていて、「歓喜」という言葉を使われていないと言うことがわかります。これは大きな特徴でございます。つまり、得べきことを得て後に「よろこぶ」、あるいは信を得て後に「よろこぶ」という現在完了形で御自身の喜びがいつも表現されているということです。すなわちすでに実現している救いを喜ばれているわけです。『教行証文類』「総序」には、

 ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。


 こういうふうに具体的に仰せられています。
「ああ、このような力強い本願力には、いくたびも生を重ねても値いたてまつることは難く、清らかな真実の信心は、無量劫を経ても、獲る機会はなかった。思いがけなくも、いま行信を獲、本願を信じ、念仏をもうす身になったものは、遠い過去世からの阿弥陀仏のお育てのご縁に思いを致して慶べ。もしまた、このたびも疑いの網に覆い隠されて本願の法をいただかないようなことがあれば、ふたたびまた永劫の迷いを続けねばなりません。
 誠なる仰せではありませんか。私たちを摂め取って捨てぬとの真実の言葉、世にたぐいなき正法は。この真実の教えを、はからいなく聞き受けて、決して疑いためらってはなりません。
 ここに愚禿釈の親鸞は、まことに慶ばしいことに、遇いがたい印度・西域の聖典をはじめ、中国・日本の祖師たちの御釈にいま遇わせていただくことができ、聞きがたい教えをすでに聞かせていただくことができました。これによって浄土真宗の教行証のおみのりを敬い信じ、ことに如来の恩徳の深いことを知らせていただきました。そこで、聞かせていただいたおみのりを心から慶び、わが身に獲させていただいている教えをたたえさせていただくために、この書を著すのです」と仰せられているのです。
 この短い文章の中に「慶」という字が三回も使われています。もし私どもが親鸞聖人に「あなたにとって、よろこびとすべきことは何ですか」と尋ねたら、きっと「遇うべき人に遇わせて頂いた、聞くべきみ教えはすでに聞かせて頂いた、そして現に本願を信じ、お念仏申す身にすでにして頂いている。そのことが私の無上の慶びです」とお答えになるに違いありません。そこではすでに慶ぶべき事柄がご自身の上に実現しています。「この世に生きてある限り、さまざまな苦難は襲いかかりますけれども、しかし何事があろうと、この世に生まれさせていただき、この法縁を恵まれ、本願を聞き念仏して、浄土を一定と期する身にしていただいたことは、何にもまして有り難いことでございます」と、自分の人生に合掌して終わっていけるような境地に安住しておられることがわかります。
 『教行証文類』の「後序」にも、源空聖人に出遇って、「雑行を棄てて、本願に帰す」る身となったことを感謝して、

 慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。


 と述懐されています。ここでも「慶ばしいかな」という字はやはり「慶」であり、「慶喜」という字が使ってあります。遇うべきものには遇った、聞くべきものは聞いた、信じなければならない如来の本願を信ずる身にしていただいた。そして浄土を願生するものとしての正しい生き方として如来から恵まれた念仏は称えさせていただいている。その意味では、この世に生まれてきた所詮はあったと、はっきりと確認しておられます。
 「歓喜」の方は、「うべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」というのですから、まだ実現していない、実現していないけれども、そのことが実現することにすでに決まっている。それを、かねて先立って「よろこぶ」というのですから、これは浄土に往生することです。これはまだ実現しておりません。この娑婆でまだ煩悩を燃やし続け、それゆえに凡夫としての苦難を受け続けております。けれどもこの凡夫としての生涯が終わったならば、必ず浄土に生まれる身にしていただいています。そのことを有り難いと思う「よろこび」のことです。ですから未来形(将来形)の喜びです。
 もっともそれは未来というよりも将来、もしくは当来と言った方が適切かも知れません。未来という言葉は「未だ来らざるもの」と読むように、まだ存在していないものと言う否定的な意味が強く出ますが、将来とか当来と言うときには、「まさに来るべきもの」と言うことになり、今まさに実現しようとする状態を表すことになり、現実を転換していくものとして、来るべき事柄を肯定的に表すような響きがあります。浄土を願生するものにとって、浄土は、現実よりも強い実在性を持っていて、まさに来たるべき事柄として受け取っていきますから、未来というよりも、将来という方がより正確に事態を表しているといえます。『歎異抄』の中序に「信をひとつにして心を当来の報土にかけしともがら」といわれた表現が一番しっくりするように感じます。
 さて浄土に往生するということは、仏陀のさとりの領域である安らかな涅槃に生まれることですから、迷いの根源である無明・煩悩が完全に浄化されて、智慧と慈悲を完成した仏陀になることを意味していました。それを「当来には滅度(涅槃)の証果を得る」といわれているわけです。ところで親鸞聖人は、その証果の内容を大悲還相として表されていました。還相(穢国に還来するありさま)とは、往相(浄土へ往生するありさま)に対する言葉で、本願を信じて、浄土に往生してさとりの智慧を極めたものは、その往相の究極におして大慈悲心を起こして、一切の衆生を救うために、煩悩の渦巻く迷いの世界(穢国)へ還ってきて、迷える人々を救うはたらきを限りなくなさしめられることを還相というのです。私どもが浄土に往生することも、浄土に在るままで迷える人々のところへ還って来て、人々の苦難に寄り添い、まことの救いを恵み与えていくことも、すべて阿弥陀仏が、本願力をもって回向し施してくださった事柄であるというので、親鸞聖人は、往相も還相も如来が回向してくださった賜物であるといわれています。
 浄土に往生し、さとりを完成するというと、それが究極の目的のように見えますが、実はそうではありません。浄土に往生し、大智、大悲を完成した仏陀になるのは、生きとし生けるすべての者を救い続けることができる身にしていただくことを意味していたからです。この世ではどうしてあげることができなかった人々を、思いのままに救うことのできる身にしていただくことが有り難い。すべての人々の悲しみに寄り添って、「苦難は私が引き受けるから、あなたはどうぞ幸せになって下さい」と、本気で言えるような智慧と能力を完成していただくことを、「歓喜はうべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」と、聖人は仰せられたのでした。


 さて、親鸞聖人の教説の特徴の一つは、本願を信じるものは、即座に正定聚の位に入るといわれたことでした。実は永い浄土教の歴史のなかでも、現生(この世)において正定聚に入るということをはっきり言い切ったのは親鸞聖人だけなんです。大変なことを聖人はおっしゃっているわけです。しかし「正定聚」というのは一体何なんだろうかということについてお話をしておきたいと思います。
 仏教では正定聚、不定聚、邪定聚という三定聚ということが言われまして、仏道修行者の階位をあらわしていました。修行が進展していく過程を三つの部類に分けてあらわしたものです。部派仏教(小乗仏教)に属する論書の、『阿毘達磨倶舎論』では、邪定聚というのは、邪悪(よこしま)な行いをして悪道に堕ちることに決定しているもののことです。それに対して、修行に励んで煩悩を断ちきることのできる智慧(無漏智)を開いて、苦諦(凡夫の現実は苦であるという真理)、集諦(苦の原因は煩悩であるという真理)、滅諦(煩悩を起こさなくなれば、すべての苦は滅して安らかな涅槃と呼ばれる状態になれるという真理)、道諦(煩悩を起こさなくらるために実行しなければならない正しい生き方についての真理)という四諦(迷いとさとりの因と果を明らかに説き表された四種の真理)をはっきりと確認することによって、まず後天的な悪条件によって起こって来ていた分別起(見惑)という煩悩を断ち切って、もはや悪道には決して退転しない預流果と言われる地位に入ります。預流果とは凡夫の仲間を超え出て、聖者の流れ(仲間)に入ったということです。このような真理をさとる智慧(正智・無漏智)を開いている人は必ずさとりを完成することが決定していますから、正定聚というのです。この人はさらに修行を積んで、生まれつき持っている根強い倶生起の煩悩(修惑)を一つ一つ断ち切っていき、預流果から、一来果、不還果というふうに進んで、最終的には完全に煩悩の絆を断ち切って阿羅漢という究極のさとりに到達していきます。
 こうして無間地獄に落ちるような悪業を作っている邪定聚と、真理をさとる智慧を開いて、さとりを完成することに決定している正定聚と以外の修行者のことを不定聚というといわれています。たゆみなく修行していけば正定聚の位に入ることが出来ますが、修行を止めて悪業を積めば邪定聚に堕ちてしまいます。進めば正定聚ですが、退けば邪定聚に堕ちるという不安定な状態にある修行者のことを不定聚というのです。
 大乗仏教になりますと、色々な経典や論疏の中にさまざまに三定聚が説かれていますが、『釈摩訶衍論』には、三定聚を菩薩の階位に寄せて三種類の説にまとめております。菩薩の修行の階位にもいろいろな説がありますが、一番一般的な説は、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚という五十二段の階位で表しています。煩悩具足の凡夫から十信の位までを外凡といい、十住、十行、十回向の三十位を内凡といいます。外凡とは、心がまだ仏法の中に安住していなくて、煩悩が盛んに起こっているような状態の人をいいます。内凡とは心が仏法に安住していて、煩悩はまだありますが、よく制御されていて外へは漏れてでないような状態になっている人です。この三十位の菩薩を三賢の位の菩薩といい賢者といいます。
 次の十地位の最初を初地といいますが、初めて般若、無分別智と呼ばれる智慧が起こって無明の一分を破って真如(あるがままの真実)を悟るようになります。もはや凡夫や、小乗の聖者のような境地に退転することはなくなり、確実に仏陀になることが決定します。そこでこの位を不退転地とも呼びますが、その時菩薩の心には大きな喜びが湧いてきますから、この位を歓喜地ともいいます。この初地以上の菩薩は真如を悟る智慧を獲得していますから大乗の聖者といいます。そこで三賢に対して十地の菩薩を十聖といいならわしています。こうして初地の菩薩は、聖者にはなりましたが、まだまだ完全な悟りではありませんし、特に一切の衆生を救済するという大悲利他の活動が未完成でして、さらに長い間の修行を続けなければなりません。
 等覚とは菩薩の最高位であって、ほとんど仏陀と同じ徳を実現していますから正覚者に等しいというので等覚と呼んでいます。ここでは等(ほとんど同じ)と同(全く同じ)とを使い分けをしていることに注意をしておく必要があります。後に親鸞聖人が信心の行者を「如来と等しい」といわれた場合は、この等覚の意味でして、「如来と同じ」ではありませんので注意しなければなりません。菩薩はこの等覚の位においてさらに長時にわたる修行を積んで自利と利他を円満し、智慧と慈悲を完成し、最後に迷いの根源である元品の無明を断じて妙覚位に登るといわれています。
 さて『釈摩訶衍論』の三定聚説の第一説は、十信中の初信の位にも至らない全くの凡夫を邪定聚といい、十信位の菩薩を不定聚と言い、三賢と十聖と等覚の菩薩を正定聚という説です。第二説は、凡夫から十信の最後までを邪定聚といい、十住から等覚までを不定聚といい、仏を正定聚という説です。第三説は、十信以前の凡夫を邪定聚といい、十信、十住、十行、十回向の四十位を不定聚といい、初地以上の十地と等覚の菩薩までを正定聚というとする説です。
 浄土真宗の電灯の祖師方の中で正定聚という言葉を使われたのは曇鸞大師でした。大師が正邪定聚、不定聚をどのように見られていたかはわかりませんが、ただ正定聚を初地以上の菩薩のことと見られていたことはわかります。したがってそれ以下を不定聚、邪定聚に配当されていたとしなければなりません。その意味で『釈摩訶衍論』の三説のなかでは第三説が一番よく似ているようです。曇鸞大師のいわれる初地は、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』に説かれている初地であり、歓喜地とも、必定とも、不退転ともいわれていました。また『浄土論』でいえば五功徳門の中の近門と大會衆門に当たります。しかし初地の菩薩ということになりますと煩悩を断じ、無明を断じて、真如の理を体得した聖者を指していました。『浄土論』の近門と大會衆門も浄土の果報として説かれていましたから、『論註』の文面では浄土に往生すれば正定聚に住するといって、正定聚は浄土で得る利益と見られていました。『論註』の序題に、『十住毘婆沙論』に説かれた易行道の利益である阿毘跋致(不退転地)を釈して、

 「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。(『註釈版聖典』七祖篇四七頁)


といわれているとおりです。


 ところで親鸞聖人は、正定聚と不定聚と邪定聚を第十八願、第十九願、第二十願の三願に配当して領解されていました。それは『大経』の下巻の始めに説かれた第十一願成就文に、

 それ衆生あつて、かの国に生れんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかんとなれば、かの仏国のうちには、もろもろの邪聚および不定聚はなければなり。(『一念多念文意』六八〇頁の読み方)


 といわれた文意によって解釈されたものです。ここで正定聚というのは第十八願の法義を疑いなく受け入れた人のことでした。すなわち真実の信心を獲た人は、即座に摂取不捨の利益に預かって、確実に真実報土に往生し成仏する身に定まっていますから、「正定の聚に住す」といわれたと領解されたのです。そのことを『親鸞聖人御消息』の第一条には、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり」といわれています。
 それにひきかえ真実の報土に生まれることの出来ない者として挙げられた邪定聚と不定聚とは、方便化土しか生まれることのできない第十九願と第二十願の機であると読み取っていかれたのでした。これは親鸞聖人以外誰も言ったことのない説でした。
 では、なぜ第十八願の機を正定聚というのか。また第十九願の機を邪定聚、第二十願の機をなぜ不定聚と言うのかということが問題になってきます。正定聚とは、曇鸞大師が仰せられているように、迷いの根源である無明の一分を破る正智を獲て真如をさとり、成仏することに決定している聖者の仲間にはいることでした。そのように正智を獲た人ですから聖者といわれる訳です。第十八願の信楽(信心)は、その本体は大智大悲の仏心であるから、よく往生成仏の因となる徳を持っています。ですから有漏の穢身が消滅する臨終の一念に真実報土に往生し、即座に成仏することに定まっていますから、その信心の徳からいって正定聚といわれる道理がある訳です。さらにまた先に述べたように摂取不捨の利益にあずかって、不退転の位につけしめられていますから正定聚の数に入るということができるからでした。すなわち信心の内徳からいえば無漏の仏智を頂いているからであり、光明摂取の外縁からいえば不退転の位に住せしめられているから現生において正定聚の機といえるというのです。
 第十九願の機を邪定聚というのは、この願に誓われているような自力の行信、すなわち雑行に心が定まっているような行者であるからです。雑行とは、如来によって選捨された非往生行を往生行としているのですから、それは正当な往生行(正行)に対すれば、邪(よこしま)な行ですので邪雑の行といわれています。その邪雑の行に心が定まっているから邪定聚といわれるのです。
 第二十願の自力念仏の機を不定聚というのは、自力念仏の構造からそのようにいわれる訳です。自力の念仏とは「機は頓にして、根は漸機なり」といわれているように、称えられている教法(南無阿弥陀仏)からいえば如来の成就された選択回向の名号ですが、それを受け取る人の心(根)が自力心を離れられないでいるから、速やかにさとるはずの法(頓教)を見失って回り道をする漸教に陥ってしまっています。すなわち法の真実からいえば、正定聚であるべきなのに、機の誤りから邪定聚の人の定散自力心と同じ状況になっています。ですから機執を離れて法に向かえば正定聚に入るし、法に背いて定散心をつのれば、邪定聚の機に落在するという中間的な存在であるから不定聚と呼ぶのにふさわしいと見られたのでした。
 それにしても第十八願の信心の行者がどうして聖者の位であるような正定聚に入ると言えるのかが問題になります。といいますのは、信心の行者であるといっても、この世に生きてある限りは煩悩を起こし続け、縁に触れたならば、どんな悪業を犯すか知れない危険な凡夫であって、決して聖者といえるような立派な人にはなれないからです。
 親鸞聖人も『一念多念文意』に、「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり」とおっしゃっています。死ぬまで煩悩を燃やし続け、罪業を造り続けるものが、どうして正定聚の聖者といわれるのでしょうか。


 そこでまず第十八願の信心とは何であるかということを知ることが大事になってきます。『一念多念文意』には、「信心は如来の御ちかひをききて疑うこころのなきなり」と定義されています。信心というのは、仏様の本願を疑いをまじえずに聞き受けて仰せの通りに受け入れている状態を言うのです。同じことを「信文類」では、「疑蓋間雑あることなし。ゆゑに信楽と名づく」と言われております。疑いという蓋を間にまじえない状態なんだというのです。たとえばコップの中に水を注ごうとしたときに、コップに蓋をしていますと水は一滴も入ってきません。ちょうどそれと同じように、自分の心に疑いの蓋をして、心を閉じてしまったならば、仏様のみ教えは決して入ってきません。実はその疑いといういのは、普通に、何か物事の道理がよく解らなくて疑うということではありません。かえって、人間が持ち前の知識を働かせて、阿弥陀仏の本願の救いを推し量って解ったと思っていることを疑いといわれているのです。人間の持ち前の知識で、仏陀の大智大悲の領域を量り知ろうとすることを、親鸞聖人は、「自力のはからい」と呼び、それを本願疑惑と呼ばれているのです。
 したがって、信心とは何かということを知るためには、その反対の言葉である「人間のはからい」とは何であるかということを知っておかねばなりません。その自力のはからいとは、先程も申しましたように、「分別」を基本的な性格としています。私どもは、生と死を別物としか考えられませんから、生に執着して、死を拒絶したり、生に絶望して死を願ったりして苦しんでいます。また私どもは、自分と他者とをはっきりと分け隔てすることによって自己を確立し、その自己を中心にして自他を画然と分け隔てします。そして自分に都合のいい人は愛し、都合の悪い者は憎むという愛憎のしがらみをつくり出し、悩みもだえながら生きていかねばなりません。それに引き替え仏陀は、生死を分け隔てし、自分と他者とを画然と分け隔てすることを虚妄なる憎と親愛は、どちらも煩悩がどちらも煩悩が描いた虚構であるとさとって、愛憎を超えた安らかな涅槃の境地に到達された方でした。そして、生死に迷って苦悩している私どもを目覚めさせるために、み教えを説いて導いてくださっているのです。
 しかし、虚妄分別の中に閉ざされている私どもが、分別的な知識を超えた「無分別智」を本体としている如来の教えを受け容れることは至難の業です。それはわかろうとしていることが、かえってわからなくしてしまうことになるような性格を持っているからです。人間の持ち前である物事を対象的に識別して判断する能力(分別)で、識別してわかったと思っていることは、実はわかったのではなくて、分別を超えているものの真実の有り様をただ誤解をしていることに過ぎないのです。じゃあ、一体どうしたらいいのかというと、如来は無分別智をもって確認されたさとりの領域を言葉で表現して、私どもに伝達しようとされていますから、そのお言葉(教説)を、仰せの通りにスーッと受け入れることです。如来の言葉を受け容れたならば、受け容れた言葉が私に如来を知らせ、浄土というさとりの領域のあることを知らせてくださるわけです。
 これは簡単なようですが、しかしもともと人間の能力を超えた出来事ですから、易いようで恐ろしく難しいことなのです。だから『大無量寿経』でも『阿弥陀経』でも本願のみ教えを信じることは人間の能力では不可能なことであるというので、「難信の法」とも、「極難信」ともいわれているのです。
 蓮如上人は、『御一代記聞書』(第一九三条)に

 「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、心源もし徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」といへる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなりと[云々]。


といわれています。柔らかな水が硬い岩を穿ち貫徹していくように、己を空しくして如来の仰せを聞き続けている人は、如来のお慈悲のはたらきによって、本願のお言葉を、素直に受け容れられるようにお育てくださるから、「仏法は聴聞にきはまる」といい切られています。
 その阿弥陀如来の第十八願には、「至心に信楽して我が国に生まれようと欲え」と誓われています。至心というのは、如来の本願が真実であることをいい、信楽とは疑いをまじえないことであり、欲生とは必ず浄土へ生まれることができると期待することであるというのが親鸞聖人の領解でした。すなわち「嘘も偽りもない本願のお言葉を(至心)、はからいをまじえずに疑いなく受け入れて(信楽)、私の国に生まれようとおもいなさい(欲生我国)」とおっしゃっているというのです。「信文類」には、「欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」といわれています。「諸有の群生」とは迷いの境界に閉じこもって、迷い続けているものというのですから、私どものことです。私どもは、仰せの通りに疑いなく、お浄土へ生まれさせていただくのだと思えばいいわけです。しかし「私の国に生まれようと思いなさい」というこの本願のお言葉がそんなに簡単に受け容れられますかね。私たちの考えとは全く違っているからです。
 私どもの考えでは、先ほどもちょっと申し上げましたが、まず生と死とは真反対の言葉で、決して両立はしません。生きているけれども死んでいるとか、死んでいるけれども生きてているとは決して考えられないことだからです。私の人生の最後は死であるとしか思えません。私たちは「生まれてきて死んで行くもの」という枠組みで自分の存在をとらえていますから、そういう存在なんだといえばよくわかるんですが、死ぬのではなくて生まれるものなんだよといわれたら、これはわかりませんね。死ぬことが生まれることならば、生きていると言うことは何なのでしょう。
 お釈迦様というのは「生まれたものは死ぬもんだよ」と教えられたといいますが、それだけならばわざわざお釈迦様に言うてもらわんでも分かっているんじゃないかな。実はお釈迦様が言おうとされたことは、そうじゃなくて、必ず死ぬ生を有り難く受け容れ、生の滅びと考えている死を、生と全く同じように有り難きこととして受け容れることができるような境地に到達しなさいといいたかったのでしょう。生と死を超えて、生と死を一望の下に見通すことのできるような精神の領域を開いた方ですから、「お前が考えているような生も、お前が考えているような死も、その言葉に対応するような実体は存在しませんよ」と教えたかったのでしょうね。「生と死ちうような言葉で捉えている生死は本来、空であって、お前がとらわれるような生も死も実在しないんだよ」と言われているのでしょう。
 しかし、わたしどもはそんなお釈迦様のお言葉を受け入れることはできません。「私は今確実に生きています。しかしそのうちに死ぬ時が来るだろうが、死が何なのか全くわかりません。死んだらどうなるのか、なにもわかりません。わからないから、死を考えると恐ろしいし、虚しい虚無感に襲われます。しかし生と死に的確に対応できる力も智慧も持っていません。どうしようもないまま、むなしく死に飲み込まれていくしかない」というのが私ども人間の現実の姿ではないでしょうか。
 それに対して、阿弥陀如来は、「死ぬんじゃなくて私の国に生まれてくるんだよ、そなたを浄土へ生まれさせる智慧と力を私は完成しているから、私にまかせなさい」とおっしゃるわけです。しかしその言葉を受け入れるほど素直ではありませんから、私たちはそれに反発しながら、戸惑っているわけです。


 この生死の超え方に聖道門の超え方と浄土門の超え方とがあるわけです。聖道門では端的に「生死本来空」と知れといます。例えば禅宗などの場合は、生は不生であり死は不死であると知れといわれます。むかし中国の禅僧で道固禅師という方がいました。葬式に行った時、連れていった弟子の漸現が葬式の最中に棺桶の中の遺骸を指して、導師の道固に「これ死か、これ生か」と尋ねたそうです。それに対して道固が「生ともいわじ、死ともいわじ」と応えたことは有名です。これが解れば生死を超えるわけです。また日本の盤珪国師はいつも「不生」という一言ですべてを言い尽していたそうです。これは盤珪の不生禅といって、大変有名でございます。ある人が、「禅師、あなたは不生で聞き、不生で歩き、不生で日暮しをせよと仰っていますが、不生の人が死んだらどうなるんですか」と尋ねたら、禅師は「不生のものには死はない」と言われたそうです。
 しかし、阿弥陀様はそんなことはおっしゃいません。ひたすら「我が国に生まれんと欲え」と願っていてくださいます。しかしこれはさきに申しましたように無分別智によって確認された生死一如、自他一如という、言葉を超え、思いを超えた領域から、私どもを呼び覚まして、生死を超え、自他の隔てを超えたさとりの領域へと導くために設けられた仏語であるという事を忘れてはなりません。このような知識を超え、言葉を超えた領域を開く言葉は、分別して理解しようとした途端にわからなくなってしまいます。ただ仰せの通りに受け容れるしかないのです。浄土があることがわかったら信じるとか、如来がわかったら受け容れますとか言っていたら千年経っても受け容れられるものではありません。それが解らないから迷っているのですから、仏語はただ仰せのとおりに受け容れるしかないのです。
 「わたしには如来さまも、お浄土もわかりませんが、あなたの仰せには嘘も偽りもないとお聞かせいただきましたので、あなたの仰せのままに浄土に生まれるのだと受け取らせていただきます」と仏語を受け容れればいいのです。このように本願のお言葉をスーッと受け入れることを信心というのです。すると受け容れた本願の言葉が、如来を知らせ、浄土をはっきりと知らせてくださるのです。そして自分が浄土へ生まれさせていただく身であることもはっきりと知らせてくれます。すべては本願の言葉を受け容れたところから始まるのです。だから「信心をもって本とせられ候」というのです。このように本願の言葉は私に生死を超え、愛憎を超えた浄土という永遠な「いのち」の領域を開いてくださるのです。それが本当に「いのち」の言葉であり、生きた言葉なんです。このような「いのち」の言葉に触れたとき、私の「いのち」が永遠の「いのち」に連なっていることが味わえるようになるんです。それを聖人は、「至心信楽のこころをもって安楽浄土に生まれんとおもへとなり」と仰せられたのでした。如来の真実なるみ言葉を真実と受け入れて、仰せのままにお浄土へ参らせて頂くんだと思いとらせて頂いた、その瞬間に生と死の壁を打ち破って大悲本願の世界が開けてきます。
 そういうことですから、仏様の前にお座りになって、「如来様、あなたは私をお浄土へ生まれさせてくださるのだそうですね」といってごらんなさい。そしたら如来様は、「そうだよ」と言って下さいますよ。「それはまことにありがとうございます」と申しますと、如来さまは「私の切なる願いを聞き入れ、私の心をわかってくれたのだから、お前は今日から私どもの仲間だよ」といってくださいます。こうして信心の行者は、阿弥陀如来の眷族にして頂き、凡夫のままでまさしく仏に成ることに決定している聖者の仲間入りをさせて頂きます。これを親鸞聖人は正定聚に入るとおっしゃったわけです。
 如来さまのお言葉を受け容れないで、自分の理解力をたよりに如来、浄土を知ろうとしますと、どうしても自分の理解能力に応じた如来を描き出し、浄土を描き出すことになります。それは自分の心の影であって、本当の如来でも浄土でもありません。まことの如来は、教えの言葉となって私に届いて知らせてくださるのです。月は、月の光で見せてもらうんだし、太陽は太陽の光が見せてくれるのです。夜になって「月が出ているかどうか見て来い」と言われて、懐中電灯で空を照らして「月は出ているか、どうか」といってさがす人はいないでしょう。月を見るのに懐中電灯はいらないのです。懐中電灯の光は私どもの足元は照らしますが、お月さんまで届かないからです。月を見る光は月からくるんです。太陽を見る光は太陽から来るんです。太陽の光が太陽を知らせ、月の光が月を知らせる。如来・浄土を知らせるのは、如来の智慧の光である教説なのです。仏様の言葉が仏様を知らせる。この言葉を離れて如来を知ることはできません。
 自分の理解能力や禅定力で如来・浄土を捉えたと考えている人は、自分が描いた心の影を見ているだけです。このような人を邪定聚といわれたのです。またせっかくお念仏を申しているが、それは如来が南無阿弥陀仏という言葉となって私を呼び覚ましておられると気づかずに、念仏して功徳を積み重ねて如来に近づき、浄土に往生しようとはからっている人がいます。それを不定聚の機といわれたのでした。こうして親鸞聖人は、第十八願の人を正定聚、第十九願の人を邪定聚、第二十願の自力念仏の人を不定聚というふうに分類されたのでした。
 正定聚という言葉はまさしく仏になることに決定している仲間ということですが、それは、仏になる因が具わっている人と言うことになります。仏になる因は本質的に仏と同質のものでなければなりません。米の種は米であり、大図の種は大豆なのです。大豆を蒔いても米は取れません。仏になる因種は如来さまから与えられた仏心であるような信心がまさにそれなのです。昨年の秋の収穫の果である籾を今年の初夏の泥田に蒔けば。今年のお米の収穫の因になるように、如来の成就された智慧と慈悲が本願力によって回向されて凡夫の私に届いて、私の仏になる因となってくださっているのが信心なのです。信心は私の心に開けていますが、私の妄念の心ではなくて、その本体は仏心なのです。そのことを親鸞聖人は信心正因といわれたのでした。


 親鸞聖人は、『入出二門偈』の一番最後のところに、

煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて信を獲得す。
この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。
この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。
安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへり。


といわれています。煩悩具足の凡夫であるけれども、仏の本願力によって、信心を頂戴したものは「凡数の摂にあらず」、凡夫の数に入らないと言われているのです。凡夫の数に入らないのならば何になるのでしょう。仏教では生き物を大きく二つに分けると凡夫と聖者の二種類になるといいます。ですから、凡夫でなければ聖者の数に入るということになります。もっとも聖者の中にも、未完成の聖者である菩薩と、完全な聖者である仏陀とがあります。私どもが完全な聖者である仏陀になるのは浄土に往生してからのことですから、いまはまだ仏陀にはなっていない聖者である菩薩ということになります。
 実はこの「凡数の摂にあらず」という言葉は、善導大師の『観経疏』の「序分義」の一番最後に出てくる言葉なんです。『観経』の序分によりますと、お釈迦さまから十方の浄土を見せていただいた韋提希夫人は、どのお浄土も素晴らしいけれども、私は阿弥陀仏の浄土に往生したいと願い、どうすれば浄土に生まれることがでいるかということをお尋ねをします。そして「私はすでにお釈迦様のお力によってお浄土を見せて頂くことができました。けれども私と同じように煩悩を燃やし、五種の苦しみにさいなまれながら生きていかねばならない未来の凡夫は、お釈迦様にお会いをすることができませんが、彼等はどうしたらお浄土を見ることができましょうか。その方法を説いてやってくださいませ」とお願いするんです。それに応じて、日想観から始まって雑想観に終わる、浄土と如来と、観音・勢至の二菩薩を心に思い描いていく十三種類の観念の方法(観法)が説かれていくわけですが、そこに「五苦所逼(五苦にせめられる)」という言葉があるんです。その五苦という言葉を善導大師が註釈されたなかに、「もしこの苦を受けざるものは、すなはち<凡数の摂にあらず>」といわれているものから採ってこられた言葉なのです。
 五つの苦しみというのは、生・老・病・死の四苦、それに愛別離苦(愛するものと別れなければならない苦しみ)を加えて五苦というのです。それにさらに、怨憎会苦(怨み憎むものとも会わねばならない苦しみ)、求不得苦(欲しいものが得られない苦しみ)、五陰(蘊)盛苦(煩悩を起こし続ける心身をかかえている苦しみ)を加えると、これで八苦になる。これを四苦八苦というんですが、その八苦の中でも、愛するものと分かれる苦しみは特に激しいから、生、老、病、死の四苦に愛別離苦を加えて五苦と説かれたのであるといわれています。そして「このように四苦、五苦、八苦にせめさいなまれて身も心も休まる暇のない者、それを凡夫というのであって、もし、このような苦しみがないものは、凡夫の数には入らない」といわれているのです。聖者になれば、自己中心的な想念を断ち切っていますから、我欲も起きませんし、怨憎の心も起きません。自分と思っている者も、他人と思っている者も、そのような言葉に対応する実体はない、一切は空であるとさとっていますから、何者にもとらわれることなく、すべては水が流れていくように、風が過ぎ去っていくように一瞬もとどまることなくサラサラ、サラサラと流れていきます。だから苦しみ悩むということがありません。そればかりか、菩薩は如来さまのようなわけにはいきませんが、相手にも自分にもとらわれることのない無縁の大慈悲心を起こして、苦しみ悩む人々に寄り添い、人々の苦難をわが身に引き受け、人々にまことの幸せを与えるためにはたらき続けていきます。これが聖者であるような菩薩の生き方であるといわれています。ですから菩薩は、「凡夫の数に入らない」わけです。
 しかし本願を信じて念仏する人であっても、死ぬまでは煩悩具足の凡夫でしかありませんから、そのような聖者の心境にはとてもなれませんし、まして聖者であるような菩薩がなさるような、素晴らしい自利利他の活動もできません。自分一人をもてあますような生き方しかできないわけです。それにもかかわらず親鸞聖人は、本願を信じ念仏する身にしていただいている者は、「凡夫の数に入らない」といい、この人を泥田に咲いた白蓮華のような麗しい人であるというので、『観経』には「この人は人中の分陀利華(白蓮華)」と讃え、あるいは善導大師は、この人を好人、妙好人、上上人、最勝人、希有人と褒め讃えていてくださるといわれるのです。親鸞聖人が、信心の行者は現生において、信心を得たときに正定聚に住するといわれたのは、そのような徳を得ているからであったと思いますが、一体私どものどこにそのような称賛に値する徳があるというのでしょうか。これが、親鸞聖人にとって「救い」とは何であったかということを解く鍵になるだろうと思います。


 さきほどから申してきましたように正定聚という言葉が本来持っておった内容は、仏に成ることが決定している仲間ということでございます。仏に成ることが決定しているということは、その人自身がなんらかの形で仏と同質のさとりの智慧を内にもっているということがなければ、正定聚という名前をつけることができなかったはずでございます。
 親鸞聖人は、如来回向の信心は、慈悲であるといわれたと申しましたが、『正像末和讃』には、

 智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし


といい、信心は人間の心に開けている心に違いありませんが、その本体は如来の智慧であるから、よく無上涅槃をさとる徳を持っているといわれていました。また「信文類」の信楽釈には、「この心はすなはち如来の大慈悲なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる」といって、仏心であるような信楽(信心)は、真実報土に往生する因であり、成仏の正因であると言われていました。
 親鸞聖人に依れば、信心は、本願の仰せを疑いなく聞き受けている「無疑の一心」でした。それなのに第十八願に信心を顕わすのに「至心、信楽、欲生」と三心をもって示されているのは、信心の徳を知らせるためであったといわれていました。もともと浄土に往生する因となるような心は如来と同質の智慧と慈悲の徳を持っていなければなりませんが、実は本願の三心は、無疑の一心にそのような智慧と慈悲の徳を具えていることを知らせるために三心と誓われたのであるといわれています。
 つまり如来のさとりの境界であるような無上涅槃の浄土に往生し、成仏することができるような信心は、凡夫が起こせるようなものではありません。そこで如来は大智大悲の徳をもった信心を完成して私どもに与えてくださっていることを私どもに知らせるために、第十八願には「至心、信楽、欲生」と誓われたのであると仰せられたのが「信文類」の三心釈、とくにその法義釈でした。すなわち如来は真実なる智慧心(至心)と大悲回向の心(欲生)を完成して、一切の衆生を、必ず救うと疑いなく決定(信楽)されています。その如来の決定摂取(必ず救う)の信楽(信心)を南無阿弥陀仏という言葉(本願招喚の勅命)として私どもに呼びかけておられるというのです。その「必ず浄土へ迎え取る」と仰せくださる本願のみ言葉を、疑いをまじえずに受け容れている有様を信心(信楽)というのです。その内容は「必ず浄土へ迎え取っていただく」と疑いなく聞き受けていることです。ですから衆生の信心は救いを告げる如来の仰せの外にはありません。これを如来より信心をたまわるというのです。しかもその信心(信楽)は、如来の智慧(至心)と慈悲(欲生)を本体としていますから、よく往生成仏の因となってくださるといわれるのです。
 本願を疑いなく聞き受ける身になっても、私どもは相変わらず愛憎の煩悩を具足している凡夫です。けれども、このように如来から頂いている信心の徳からいえば、大智大悲の仏心を往生成仏の因として頂戴しているのですから、初地以上の菩薩どころか、成仏の因を円満している弥勒菩薩のような等覚の菩薩と同じ徳を持っているといえるわけです。そして、何一つ決定的なことは知らないし、云えない凡夫ですが、浄土に往生して、仏にならせていただくことには疑いはなくなっています。親鸞聖人は、そのことを『尊号真像銘文』末に、

信心の珠をこころにえたる人は生死の闇にまどはざるゆゑに、「心照迷境」といふなり。信心の珠をもち愚痴の闇をはらひ、あきらかに照らすとなり。


といわれています。信心を得た人は、煩悩はあり続けるが、生死に迷うことはなくなったといえる身にしていただいているわけです。まさに「凡数の摂に非ず」というべき徳が与えられているわけです。
 それを親鸞聖人は「諸経和讃」に「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ」とまで言われたのです。もっともここで注意しなければならないのは、「等しい」ということは「同じ」ということではないということです。等と同を同じ意味で使うことももちろんありますが、信心の行者を如来と「等し」といわれた時には、菩薩の最高の階位である「等覚」のことで、仏陀そのものを表す「妙覚」(正覚そのもの)のことではないのです。菩薩の最高位で、仏になるべき因が円満していて、次の生においてほとけになることに決定している菩薩の位を一生補処(菩薩としての一生が終われば、次の生で仏になることが決まっている菩薩)といい、弥勒菩薩がその典型であるとされていました。それゆえ信心の行者のことを『大経』には「次如弥勒(つぎなること弥勒の如し)」といわれているのです。この弥勒のような一生補処の菩薩は、仏因円満して「ほとんど仏と同じ」徳を持っているから等覚の菩薩(正覚者に等しい菩薩)と呼びます。今も如来の智慧と慈悲の徳を頂いて仏になる因徳が円満しているものは弥勒と同じ一生補処に位であり、等覚の菩薩と同じ位であるから、如来と等しい(等覚)といわれるのです。死ぬまで煩悩具足の凡夫ですから決して完成された徳をもつ仏陀ではありませんが、この一生を終われば、必ず仏陀になる徳を頂いているから、一生補処の菩薩であり、すなわち弥勒と同じ等覚の位につけしめられているいわれるのです。
 こうして私に如来の智慧と慈悲が届きますと、届いてくださった如来の智慧と慈悲が私を内側から導いてくださるようになります。それが如来の本願に呼び覚まされ、如来の智慧と慈悲に導かれるような人間にしていただいているということです。ですから信心の行者には、こうして尊い徳を頂戴していながら、煩悩具足の生活を送っている自分はまとこに恥ずかしいことであり、申し訳ないことであるという慚愧の心が起こってきます。今までは、ただ我欲の命ずるままに、自分に都合のいいことばかりを追求し、不幸は人に押しつけても自分だけは幸せになりたいと思って生きてきたが、それは貪欲の煩悩であったと知らされます。また自分に都合の悪いものを排除するは当たり前で、気に入らないものに腹を立て、憎み呪って何が悪い、わたしに腹を立てさせる人が悪いのがとばかり考えていましたが、それが瞋恚の煩悩であると気づかされます。こうした貪欲や瞋恚の根源に、自己中心の想念があって、何事も自分本位に考え行動することが諸悪の根源である愚痴(無明)の煩悩であるとうなずくようになってまいります。
 そのように自分を煩悩具足の凡夫であると認め、自己中心の想念に引きずられて起こすさまざまな悪を悪と認め、罪を罪と認めるようになったと言うことは、いままで当たり前であったことが当たり前でなくなったのですから、大変な変化が起こっているのです。いわば自分の中に革命が起きているのです。我欲や怒りや自分本位の考え方を、罪とし、悪とみなし、浅ましいこととうなずくようになったのは、如来の教えをまことと受け入れる信心が恵まれたからこそわかったことです。言い換えれば、信心となって私の上に届いた仏の智慧が知らせてくださったことがらでした。
 愛欲と憎悪を超えて、一切の衆生を一子のように、かけがえのない大切な「仏の子」とみそなわす如来の大悲の智慧を怨親平等のさとりといいます。怨み憎むものも、親しく愛するものも、私の自己中心的な想念の前に現れた幻想であって、まことは一人一人かけがえのない大切な「仏子」なのです。その尊さは、全く同じであると悟ることを怨親平等というのです。如来とは怨親平等のさとりを実現された方であり、浄土とは怨親平等の徳が実現している領域でした。
 仏陀の智慧と慈悲こそ真実であると知らされた念仏者は、怨親平等の領域こそ私どもが目指さなければならない領域であることを思い知らされます。それにつけても、自分の現実は、それに背いて愛憎の泥沼に足を取られそうになっていることに気付き、慚愧せずにおれません。しかし、阿弥陀仏の本願を聞き、正定聚の位に入れて頂いて怨親平等の浄土に向かって生きるという方向性を与えられていることの有難さを思うとき、少しでも如来の御心にかなうような生き方をしなければならないという思いが湧いてきます。そこに煩悩の真っ直中にありながらも、たえず本願に呼び覚まされて、如来、浄土を中心とした新しい精神の秩序が与えられてくるということがあります。


 親鸞聖人のお手紙の中に、念仏者の日常生活を厳しく誡められる文章があります。『親鸞聖人御消息』第二通(『註釈版聖典』七三九頁)の中の次のようなお言葉です。

 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。
 しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。


 そこには、本願を信じ念仏するようになった念仏者の内心には、大きな精神の転換が起こっており、日常の生活にもその影響が現れてくるありさまが見事に示されています。
 これは建長四年(一二五二)二月二十四日という日付が記されていますから、聖人八十歳のお手紙であることがわかります。そしてお手紙の最後には

この文をもつて鹿島・行方・南の荘、いづかたもこれにこころざしおはしまさんひとには、おなじ御こころによみきかせたまふべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。


といわれていますから、宛名は記されていませんが、常陸国の東南部の鹿島、行方、南の荘といった各地に散在する門徒中に宛てられた手紙であろうと思います。そのころ常陸地方(茨城県)の念仏者の中に、「如来さまは、どんな悪人であっても救ってくださるのだから、悪であれ罪であれ恐れることはなく、おもうおさまに生きればいいのだ」といい、「悪を慎み、念仏を相続せよと言うようなことをいう者は、自力の行者であって、往生はできない」などという邪見な教えを説いて人々を混乱させるものが現れたようです。それを誡められたお手紙の一節です。とくにこの手紙の中に、

浄土の教もしらぬ信見房などが申すことによりて、ひがざまにいよいよなりあはせたまひ候ふらんをきき候ふこそあさましく候へ。


という一節がありますから、「浄土の教えを正式に習ったこともない、信見房とかいう男が勧める邪見な教えを信じて、念仏者たちが心得違いをしているようだが、まことに浅ましいことである」と書かれているのから見ると、信見房というような怪しげな説教者に惑わされた人が多く出たようです。ともあれ先に引用した親鸞聖人のお手紙の一節を現代語に訳しておきましょう。

 「さてあなた方は、むかしは仏法を聞かれたこともなく、阿弥陀如来の本願のましますことも知らず、お念仏を申されることもなかった人々でしたが、今では、お釈迦さまと阿弥陀如来さまのお慈悲のお育てとお導きによって、今ようやく阿弥陀如来の大悲の本願を聞く身にしていただかれた方々です。
 もとは、まるで酒に酔っぱらって正体を失った人のように、正しい道理などを全く知らず、我欲と怒りと愚かさといった心の毒ばかりを好んで食べ、さまざまな罪悪を積み重ねて、身も心も瀕死の重病にかかっていました。それを如来さまのお恵みによって、本願の念仏という尊い薬を与えられたおかげで、酒の酔いがようやく少しずつ醒め始めたように、正しい道理に目覚めはじめ、三毒の煩悩も、少しずつ好まないようになり始め、阿弥陀如来さまのみ教えを聞くことを慶ぶような身にしていただき、南無阿弥陀仏と本願の薬をいただき、好んで称えるような身になっておられるのが今のあなた方の有様です。
 ところが、まだ酔いが醒めきっていない人に、さらに酒を勧め、毒がまだ消えていないにもかかわらず、さらに毒を勧めるような誤った教えを説いて人々を惑わし、苦しませていくようなことは、まことに浅ましいかぎりです。そんな誤った教えに騙されて、どうせ煩悩具足の身であるから煩悩を止めることなどできないといって、浅ましい煩悩の起こるがままに身をまかせて、してはならないことも平気で行い、言ってはならないことも平気で云い、心に思ってもいけないことを平気で思い、どのようにでも自分の心のままに振る舞えばいいのだと言うようなことを、口々におっしゃっているようですが、本当に恐ろしいことであり、心の痛むことです。
 まだ酔いが覚めてもいないものになお酒を勧めて酔い潰し、まだ毒の消えていないにもかかわらずさらに毒を勧めるような、決して許すことのできない行為です。薬があるから、毒を飲みなさいと勧めるようなことは決してしてはならないことです。自分で起こした煩悩の毒によって苦しみ悩んでいる煩悩具足の凡夫を哀れんで、なんとしてもその煩悩の泥沼からすくい上げようと、ご苦労くださった大悲の本願を聞き、念仏を申すようになって、月日の経っている人ならば、煩悩の恐ろしさ、浅ましさが身にしみてわかっているはずです。今生の悪業に引かれて本来ならば三悪道に堕ちていく筈であったと身震いするような思いで自分の後生を思い、三悪道の業因である煩悩の恐ろしさを思い知らされた人ならば、三悪道を厭い、煩悩を厭い捨てたいと思う心が起こる筈です。煩悩具足の身であることの浅ましさに気づいた人ならば、煩悩を起こし続ける自分を恥ずかしく、又悲しいことと知る筈です。そしてそのしるしとして、少しでも悪業を慎み、浅ましい煩悩にわが身をまかせることなく、如来の御心にまかせてつとめるべきです」

といわれているのです。ここから煩悩具足の凡夫の慚愧と報恩の生活が始まるのです。


 ところで、このお手紙の初めに、

かたがたよりの御こころざしのものども、数のままにたしかにたまはり候ふ。明教房ののぼられて候ふこと、ありがたきことに候ふ。かたがたの御こころざし、申しつくしがたく候ふ。明法御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。鹿島・行方・奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。


という文章があります。これによれば聖人のお弟子であった常陸の明教房が上洛してきて、親鸞聖人に対する門徒中からの懇志を届けると同時に、常陸の門弟達の近況を報告したことがわかります。
 そのなかに、明法房が往生の素懐をとげたことを告げていたようです。それをお聞きになって聖人は、「おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。鹿島・行方・奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ」といわれています。「明法房が最後まで心変わりすることなく、お念仏の中で、立派に往生を遂げられたと聞きましたが、今さら驚くべきことではありませんが、常陸中の、いや総ての往生を願う人々にとって、みんなの慶びです」といわれているわけですが、これは一体何事を語ろうとされていたのでしょうか。
 明法房という人物は、元は弁円といい、山伏の指導者だった人で、常陸の霊山、筑波山を中心として、大きな勢力(勧進圏)をもっていました。ところが親鸞聖人が常陸へお出でになり、多くの勧進聖(念仏聖)たちが親鸞聖人の徳を慕って弟子となり、その勢力が強くなるにつれて、いままで修験道(山伏の宗教)の信者だった人々が、続々と念仏者に転向し、信者が減っていきました。これは親鸞のせいであるというので、弟子たちを引き連れて聖人を暗殺しようと企てたのでした。
 聖人はそのころは笠間郡の稲田の草庵におられて、しばしば鹿島、行方の方面に教化に行かれていましたから、その途中の板敷山の山中で待ち伏せをしたそうです。しかし上の道で待ち伏せをしていると聖人は下の道を行かれるし、下の道で待ち伏せをしていると、聖人は上の道を行かれるというように、暗殺計画がどうしてもうまくいきませんでした。そこで彼は直接、稲田の草庵をたづね、聖人を暗殺しようとしたのでしたが、その時彼の訪れを聞いて、実に無造作に出てこられた聖人の姿を拝したとき、いっぺんに殺意を失い、聖人の弟子になったといわれる人でした。名前も明法房と名乗り、熱心に念仏のみ教えを学んだ人でした。しかしもともと修験道の指導者であって、現世祈祷を専門に行う修験者であったし、場合によっては聖人でさえも殺害しようとするほどの人物だったから、聖人が関東から京都へお帰りになって、聖人から離れるとどうなるか、一抹の不安も抱かれていたのでしょう。
 それが明教房の報告によると、最後までお念仏を慶び、見事に往生の素懐をとげていったと聞かされて、聖人は心から慶ばれたわけです。その頃の関東の宗教事情はまことに複雑でしたし、念仏者に対する為政者の風当たりは厳しいものがありました。そのうえ宗教的、世俗的さまざまな誘惑もあったに違いありません。そんな中で、強力な指導者である親鸞聖人と離れた彼が純粋な念仏者として生きていくのには、さまざまな問題があったはずです。それにもかかわらず彼が純粋な念仏者としての生涯を全うすることができたのは、偏に阿弥陀如来の摂取不捨の願力が、彼の真実信心を守りつづけてくださったからに違いありません。そのお陰で迫害にもたえ、さまざまな邪見の誘いも惑わされることなく、美しい念仏の行者としての生涯を送り、浄土へ迎え取って頂いたのだとお慶びになったのでしょう。
 同じ趣旨の『親鸞聖人御消息』第四通にも、明法房の往生に引きかけて、

明法房などの往生しておはしますも、もとは不可思議のひがことをおもひなんどしたるこころをもひるがへしなんどしてこそ候ひしか。われ往生すべければとて、すまじきことをもし、おもふまじきことをもおもひ、いふまじきことをもいひなどすることはあるべくも候はず。(中略)よくよくこの世のいとはしからず、身のわろきことをおもひしらぬにて候へば、念仏にこころざしもなく、仏の御ちかひにもこころざしのおはしまさぬにて候へば、念仏せさせたまふとも、その御こころざしにては順次の往生もかたくや候ふべからん。(『註釈版聖典』七四三頁)


と厳しく誡められていました。


 法然聖人は、念仏者は「煩悩を主とし、念仏を客とする」ような生き方をしてはならない、「念仏を主とし、煩悩を客として生きよ」と言われていました。煩悩が主人公になって念仏を客とするような生き方は、煩悩を満足するために、如来さまや念仏を利用しようとしている極めて利己的な生き方でして、まさに迷いの生活そのものになってしまうからです。それに引き替え、煩悩の現実を離れることのできない浅ましい凡夫だからこそ、わが心にまかせることなく、常に如来さまを、念仏を心の主として、如来さまに導かれるように心がけなければならないと言われたのでした。
 それを承けて蓮如上人は、『御一代記聞書』の中に、

仏法をあるじとし、世間を客人とせよといへり。仏法のうへよりは、世間のことは時にしたがひあひはたらくべきことなりと[云々]。


と仰せられました。上人の人生観の基本を述べられたものです。仏法とは阿弥陀仏の本願を信じて念仏し、生死を超え、愛と憎しみを超えた浄土を目指して生きることでした。それに対して世間とは、名誉欲と財欲に振り回されながら生きる私どもの世俗の日常生活を意味していました。ここでは真理についての無知と、愛欲と憎悪が支配しています。
 蓮如上人は、この仏法と世間とに主客を立てられたわけです。仏法を主人とし、世間を客人とするということは、仏法を中心として世俗を生きなさいといわれているのです。それは世俗の日常生活を、念仏の縁として生きることであるともいえましょうし、この世を仏法の真実を確かめる道場とみなして生きることであるともいえましょう。それは念仏のなかに営まれる真摯な生活を意味していました。
 その反対は、世間を主人とし、仏法を客人とみなすような生き方です。この世をうまく生きるための手段として仏法を利用しようとするものです。仏法を主とし、世間を客とみなす生き方は、世間を仏法化していきますが、世間を主とし、仏法を客とするような生き方は仏法を世俗化してしまいます。世俗化した仏教に世俗を救う力はありません。ただ世俗に追随するだけの仏法になってしまいましょう。親鸞聖人が現生で正定聚を語り、現生における阿弥陀仏の救いを強調されたことは、そのような念仏を中心にした新しい精神の秩序の成立を告げる教説だったのではないでしょうか。

タグ : 梯實圓 現生正定聚

2010/03/26(金)
物とり信心の批判 ー蓮如上人と『御文章』(第四回)ー 梯 實圓(『仏と人 20』より)

 文明五年二月一日付の帖外『御文章』には、「物取り信心の異義」と呼ばれる世俗化した信仰形態を厳しく批判されています。それは金品をたくさん寺へ納める門徒を信心深い人とよび、往生間違いないと保証するようなものをいいます。また同じような異義に「施物だのみ」というのがあります。金品さえたくさん寺へ寄進すれば、その功徳によって浄土に往生できるであろうという信心でした。それがのちに述べますような知識帰命の異義と結合すると、善知識にたくさん寄進すれば、自分の信心の足りないところは、善知識が補って往生させてくれるであろうと考えているような信仰になっていきます。
 この『御文章』は、去年の冬のことだったが、ある人からこんなお話を聞きましたという書き出しで、一人の住職の「物とり信心」を、ある人が批判して改悔・懺悔させるというかたちで説かれています。
 あるとき私は道端で一人の一癖ありげな住職に出会いました。この住職は、信心について問いただせば、領解の言葉は型どおりにいうけれども、ほんとうの信心を得ていないことは言葉の端々に見えていました。そればかりか、「門徒のかたより、物とり信心ばかりを存知せられたる」人と見受けられました。そこで厳しく追及すると、「恥ずかしいことですが、自分はただ口まねの領解しかいえません、正しい信心のいわれをきかせてほしい」と本音を吐きました。そこで、「そなたが、もろもろの雑行を捨てて、一心一向に弥陀に帰すと言われていることはただ言葉だけのことで、本当にそうなっていないところに問題があるのだ」といって、

もろもろの雑行をすててとまうすは、弥陀如来一仏をたのみ、余仏・余菩薩にこころをかけず、また余の功徳善根にもこころをいれず、一向に帰し、一心に本願をたのめば不思議の願力をもてのゆえに弥陀にたすけられぬる身とこころゑて、この仏恩をかたじけなさんい、行住坐臥に念仏まうすばかりなり。これを信心決定の人とまうすなり。


と、くわしく浄土真宗のこころを述べると、その住職は、感涙にむせび、改悔(悔い改め)しました。
 こうして信心を獲得したその住職は、今まで門徒からの反発をおそれて真実を語り得なかった自分の弱さを懺悔し、これからは正しい法儀にもとづいて、門徒の反抗を恐れずに教化していきますと誓って、次のように話を聞かせてくれました。
 自分の寺に大金持ちの有力門徒がいますが、その人に「そなたは信心がないからもっと聴聞せよ」と勤めたことがありました。ところが、彼は眼をいからせ、声を荒くして、「わたしの家は親の代から寺のために尽くしてきた、寄付金などは真っ先にさしあげ、寺の建物の修理をするときなどは大金を出して助けてあげたではないか。私も寺になにか思いがけない出来事があれば金品を出して援助してきた。そのほかに季節に応じた贈物も今日にいたるまで欠かしたことがない。これほど金品を住職に進上するのは信心の厚い証拠ではないか。そればかりか後生のためと思って念仏もよく称えている。一体私のどこに欠点があって信心がないなどといわれるのか、そのようなことをいわれるのならば門徒をはなれます」というのです。
 彼は私の寺にとっては一番大事な有力門徒ですから、万一門徒をはなれるようなことがあれば、寺のささえを失うことになります。そこで私は「たしかにあなたのいわれるとこには道理があります。ただ他の人があなたのことを信心が足りないといっているのを聞いたものだから、言ったまでで、今後は決してこのようなことは申しませんから、他の寺の門徒になるなどとはいわないでほしい」と謝ったような次第です。しかし今にしておもえば、これはわたくしの誤りでした。懺悔いたしますといって、涙ながらに改悔したというのです。
 また文明六年八月十日付けの、帖外『御文章』にも

名をばなまじゐに当流にかけて、ただ門徒といえるばかりをもて肝要とおもひて、信心のとをりをば手がけもせずして、ただすすめといふて銭貨をつなぐをもて、一宗の本意とおもひ、これをもて往生浄土のためとばかりおもへり。これ大きにあやまりなり。


と批判されています。これらによってそのころ、北陸に懇志をたくさん収める者が信心の暑い者であるみなす「施者だのみ」の風潮が、僧侶のなかにも、在家の信者のなかにも拡がっていったことがわかります。
 蓮如上人の義理の叔母にあたる如勝尼は、「知識帰命」的な信仰をもっていて、「施者だのみ」のような異端的な信仰の持ち主であったようです。如勝は、上人が本願寺の宗主になられたときの最大の恩人であった叔父の如乗の妻であり、上人の次男の蓮乗の養母でもありました。如乗がなくなった後も加賀の二俣の本泉寺にあって、その実権を握り「本泉寺の尼公」と呼ばれて、北国第一の実力者といわれた人でした。しかしこの人は自身の信心がなかなか定まらなかったようで、おおいあぐねて蓮如上人に多くの布施をし、その功績によって、自分の信心の足りないところを上人に補っていただいて往生しようというような、信仰をもっていたわけです。そのように、善知識に対して多くの布施をした功績によって、善知識の力で救いに預かろうとするような信心は、「知識帰命の異義」と、「施物だのみの異義」とをあわせたものであるといえましょう。上人は彼女のそうした心の内を見抜いて、

五しょう(後生)を一大事とおぼしめし候はば、ただひとすじに弥陀をたのみまひらせて、もろもろのぞうぎょう(雑行)、物のいまはしきこころなどをふりすてて、一心にふたごころなくたのみまいらせ候てこそ、ほとけにはなり候はんずれ。さように人に、ものをまいらせ候て、そのちからにてなどとうけ給候。なにともなきことにて候。よくよく御心へ候べく候。


と、厳しく誡められたことが「六日講四講御文」にみえます。
 もっとも上人は、信心の行者が。その救われた喜びから、この教法を伝道したり、聞法の道場である寺を維持していくために、住職にも、寺にもできるだけの経済的援助をしなければならないと勧めておられることはいうまでもありません。しかしそれは御恩報謝としてなすことであって、往生の条件として為す行ではないと言われるのでした。文明五年二月八日付けの一帖目第五通には、加賀・能登・越中の門徒たちに、信心を決定すべき旨を説かれたのちに、「このこころえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こころざしをもいたすべきものなり」といわれたものなどがその一例です。
 いずれにせよ、このような『御文章』が、あるいは寺の本堂で多くの僧侶や門徒を前にして読みあげられ、また講の席上で読みあげられて、それを寄合談合の話題の中心としてとりあげられたとき、集まった人々の心にどんなに強烈な印象を与えたかを想像できましょう。衆人の前で公然と批判され改悔、懺悔を迫られる大寺の住職や富裕な有力門徒の姿をまのあたりにしたとき、民衆は、なにものもおそれずに「聖人一流の御勧化のおもむき」を説きつづける蓮如上人に絶大な信頼を寄せずにおれなかったと思います。
 こうして蓮如上人の異義批判は本願寺の内部にまで及びます。ことに文明五年九月付けの帖外の『御文章』には、「京都の御一族(本願寺一族)」を名のる人の懈怠を厳しく誡めています。その京都の御一族というのは「ある若衆」となっていますが、どうもないようからみて、加賀に一寺を与えられた上人のご子息の一人ではないかと思われます。彼は何時も人に向かって

安心のことはこころへ候つ、また念仏はよくまふしさふらひぬ、また雑行とては、さしてもちゐなくさふらふ間、ことにわれらは京都の御一族分にて候あひだ、ただいつもものうちよくくひて候ひて、そののちはねたく候へば、いくたびもなんときも、ふみぞりふせり候。また仏法のかたは、さのみこころにもかからず候。そのほかなにごとにつけても、ひとのまふすことをばききならひて候あひだ、聖人の御恩にてもあるかなんど、ときどきはおもふこころもさふらふばかりにて候。


と公言していたということです。私は、安心のことはよくこころえているし、念仏もちゃんと称えている。はじめから阿弥陀仏だけを礼拝していて、余の仏・菩薩をまつっているわけでもないから雑行などするわけがないといっていたようです。しかも「仏法のかたは、さのみこころにもかから」ないが、少しは聖人のご恩と思う心もないではない。しかし毎日は、食いたいでけ食い、眠くなれば、ふんぞり返って寝るばかりというような懈怠がちの人物でした。この人物に対して、多くの人は本願寺の一族であるというので遠慮をしていさめることもしません。そこである人が、これを厳しく批判するという設定になっています。
「まことに恐れ多いことだが仏法のことであるから、お心得違いを言わせていただきます」と断ったうえで、

当流の次第は、信心をもって先とせられさふらふあひだ、信心のことなんどはそのさたにおよばず候。京都ご一族を笠にめされ候こと、これひとつおほきなる御あやまりにて候。


と厳しく誡めます。本願寺の蓮如上人の権威を笠に着て、何よりも大切な、信心について談合することもなく、ご法儀を軽んずるということは決して許されることではないというのです。そして「御一族にて御座候とも、仏法の御こころざしあしくさふらはば、報土往生いかがとこそ存じさふらへ」といい、仏法の世界に特権階級は存在しないことを思い知らせていくのでした。
 このように文明三、四、五年ごろの『御文章』には、「聖人一流の御勧化のおもむき」を真向から説き進め、聖人の御流に背くものはどんなに勢力を持っている大坊主であれ、有力門徒であれ、身内のものであれ、容赦なく批判して改悔・懺悔を迫っていくという、まことに厳しい、まさに捨て身の「攻めの伝道」をつづけていかれたのでした。こうした上人の真剣なご教化が人々の心を打ち、上人を慕って人々は吉崎に群参するようになってきました。

タグ : 梯實圓 帖外御文 物取り信心

2010/03/24(水)
『親鸞聖人と建学の精神』p8~(永田文昌堂 林 智康著)より

 そして『往生礼讃』の文では、親鸞聖人は「信巻」と「化身土巻」の二箇所に引かれていますが、「仏世はなはだ値ひがたし。人、信慧あること難し。たまたま希有の法を聞くこと、これまたもつとも難しとす。みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたまた難し。大悲弘くあまねく化する。まことに仏恩を報ずるになる」と。 この『往生礼讃』の言葉は「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」というのが、元々の言葉ですが、親鸞聖人は「信巻」と「化身土巻」のどちらにも直接、善導大師の『往生礼讃』を引かれていません。智昇大師の『集諸経礼懺儀』という『往生礼讃』等を集めた書をですね、そのお言葉の方を間接的に引かれておられます。「大悲伝へてあまねく化する」という言葉をですね、「大悲弘くあまねく化する」となっております。たった一字であります。「大悲普化」、伝えるという言葉を「大悲普化」、弘くという言葉に変えてあります。ここはどうしてこんなふうに親鸞聖人は直接『往生礼讃』を引かないで、智昇大師の『集諸経礼懺儀』を引かれたのでしょうか。いろいろな先生方の本を読ませていただいたり、私なりに考えさせていただきました。

 善導大師はやはり、自らが伝えていくという立場に立っておられますね。いわゆる、「みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたまた難し」と、これほどまた難しいことはありません。自ら浄土真宗のみ教えを信じる、そしてそれを他の人々に伝えていくということは大変に難しいことです。そして、大悲を伝えてあまねく化する、すなわちあらゆる人々を救うことは仏恩を報ずることになるんだ。これは素晴らしいことです。しかし親鸞聖人はですね、皆さんご存知のように「煩悩具足の凡夫」、「罪悪深重の凡夫」、「無慚無愧のこの身にて」と、いわゆる「機の深信」と言いまして、私たちのありのままの姿を赤裸々に表現されて、とても自分が人々を救うような力を持った者ではない。自らの力では人々を迷いの世界から救うことはできない。しかし私を通して大悲が弘くあまねく化するのである。元々「大悲が弘くあまねく化する」と読むんでしょうけれども、親鸞聖人はそこを「大悲が弘くあまねく化していく」と、如来の大悲がすなわち自ずから人々を救っていく。このように読み替えられたのではないかと思います。
(以下略)

引用は以上です。

林先生とは電話でお話ししたことがあります。
といいましても、去年私が龍谷大学の『真宗学』のバックナンバーを注文した時に、あまり遅いのでメールで催促したら、直接責任者の林先生が電話をかけてこられただけなんですけど。
申し訳のないことでした。
ちゃんと『歎異抄講讃』等を読ませていただいていますとは言いました。

タグ : 林智康 善導大師 自信教人信

2010/03/22(月)
探求社の『無量寿経ガイド』『阿弥陀経ガイド』『正信偈ガイド』は持っていたのですが、『観無量寿経ガイド』が絶版になっていました。
普通の通販では取り扱っていないし、近くに古本屋はないし、西本願寺のブックセンターにも置いてありません。
それでも手に入れたいと、山口別院に電話したら数冊残っていましたので、早速注文しました。
なんだ、はじめからこうすればよかったんだと思いましたが、とにかく買うことができました。
無理だと思っていても、別の切り口を探し出せば解決できることもあるものです。
その解決策も案外近くにあって見落としているのです。

タグ : 探究社

2010/02/24(水)
『精読・仏教の言葉 親鸞』
(梯 實圓著 大法輪閣 ISBN4-8046-4102-5)より

 他力とは何もしないことではなくて、真剣に聞法し、念仏し、敬虔に礼拝していることを「如来われを動かしたまう不可思議の徳の現われ」と仰いでいることをいうのであった。念仏を励むことが自力なのではなくて、念仏しないことが自力のはからいに閉ざされていることなのである。また、たまわった念仏を自分が積んだ功徳と誤解していることを自力というのであって、念仏する身にしていただいていることを喜ぶのを他力というのである。それを親鸞は、「他力と申し候ふは、とかくのはからひなきを申し候ふなり」(聖典・七八三頁)といわれたのであった。

------引用はここまで

 この梯和上の本は分かりやすいですよ。
 上の文章などは素晴らしいですね。

タグ : 梯實圓 他力

2010/02/23(火)
「法の深信」とは、「助かるに間違いなし」と阿弥陀仏の本願(法)に疑い晴れたことである。
と言う人がいます。
これが間違いなのです。
もし、こういう言い方をどうしてもしたいのならば、
助けるに間違いなし」
と書くべきなんですね。

助かるか助からないかを問題にする人がいます。
助かるか助からないかはこっちのことなのです。
「仏かねてしろしめして」おられるのです。
疑い無く助ける法を聞くのです。

ひっくり返っているのです。

タグ : 二種深信

2010/02/17(水)
歎異抄をひらく』は「永正本」をもとにしたと書かれていますが、『歎異抄をひらく』の「原文」と「永正本」にはいくつかの違いがありますので、気が付いたいくつかを指摘します。
(網羅しているわけではありません)

表記方法は
 左側:『歎異抄をひらく』の原文←右側:永正本の記述
とします。

漢字・仮名の違い、仮名遣いについては無視します。
また送り仮名も多少の違いは省略します。(例:「乱るる」と「乱る」など)
ただし、永正本に漢字で書かれているものと違った漢字が使われている場合は記します。

★印は、永正本どころか他の主だった古写本にも、『歎異抄をひらく』の「原文」のような記述がないものです。
歎異抄をひらく』独自の「原文」と思われます。
原文が違っていたら、解説にならないでしょう。
これでは「どちらが異端か」以前の問題です。


☆印は、比較的新しい写本(慧空本)や法要本、東本願寺仮名聖教にあって、永正本にはないものです。

中には意味が変わる場合もありますので、注意が必要です。

【序】
自見の覚←自見の覚

【第一章】
善なきゆえ←善なきゆえ

【第二章】
こころにくくおぼしめして~はんべら←こころにくくおぼしめして~はんべらんは
かのひとびとにも←かのひとにも☆
地獄におつべき←地獄におつべき★
自余の行←自余の行
愚身←愚身

【第三章】
生死をはなるることあるべからざるを←生死をはなるることあるべから

【第五章】
父母の孝養のためとて念仏一辺にても←父母の孝養のためとて一辺にても念仏☆(←★から☆に修正)

【第九章】
他力の悲願はかくのごときのわれら←他力の悲願はかくのごと われら☆

【別序】
聖人のおおせにあらざる←上人のおおせにあらざる

【後序】
ひとのくちをふさぎ相論をたたんために←ひとのくちをふさぎ相論のたゝかひかたんがために
故親鸞聖人のおおせごと←古親鸞のおおせごと

【流罪記録】
←幡
房←浄
←奏

修正
1.最初にあげたものに誤字・脱字がありましたので、少し修正しました。
  本質的には変わっておりません。

2.「総じて」・「惣じて」については、本によってかなり相異・混乱がありますので削除しました。

3.第五章については、調べた結果、東本願寺の仮名聖教(江戸時代の版本)の一種にこのような記述がありました。しかし、今日のほとんどの歎異抄解説書では、古写本にない「念仏一辺にても」は採用していません。

タグ : 歎異抄をひらく 歎異抄

Before  | Copyright © 21世紀の浄土真宗を考える会 All rights reserved. |  Next

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。